前川喜平・前文部科学事務次官が、安倍晋三首相の補佐官から昨年9~10月に直接、獣医学部新設に向けた手続きを急ぐよう求められていたと証言した。文部科学省が作成・共有したとみられる文書によれば、内閣府から同省に学部新設を働きかけていたとされる時期と重なる。文科省への度重なる働きかけに、前川氏は補佐官の「焦り」を感じたという。
「総理は自分の口から言えないから、私が代わって言う」。昨年9月上旬、首相官邸の一室で、和泉洋人・首相補佐官がこう言って学部新設を求めたと前川氏は証言した。和泉氏側は「記録が残っておらず、確認できない」としている。
この時期は、約50年ぶりの獣医学部新設を認めるかどうかをめぐり、要望活動や政府内の調整が本格化したころだ。
首相の長年の友人である加計(かけ)孝太郎・加計学園理事長は8月から9月にかけ、山本有二農林水産相(8月23日)、松野博一文部科学相(9月6日)、山本幸三地方創生相(同7日)と相次いで面会していたことが、これまでの国会審議で明らかになっている。山本有二氏と山本幸三氏は、加計氏から学部新設の提案について言及があったと認めている。
ログイン前の続き■9月に「官邸の最高レベルが言っている」文書
朝日新聞が入手した文書に、内閣府から文科省に「平成30年(2018年)4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成」「これは官邸の最高レベルが言っていること」と伝えられたと記されている。前川氏によると、この文書が示されたのは9月下旬。この時点でも文科省は18年の学部新設に慎重な姿勢を崩さず、政府内の調整は10月以降も続けられた。
10月17日には、同じように獣医学部新設を目指していた京都府、京都産業大から、政府の特区ワーキンググループがヒアリングをしているが、前川氏の証言によれば、9月時点ですでに加計学園を前提に学部新設の話が進んでいたという。
文科省内で作られたとされる文書には、「成田市ほど時間はかけられない」という文言も出てくる。成田市とは、同じように特区で実現した国際医療福祉大の医学部新設を指すとみられる。このときは開学(17年4月)の1年9カ月前には関係3省庁(内閣府、文科省、厚生労働省)が新設方針に合意していたが、獣医学部の場合、開学を想定する1年半前の16年10月時点でも省庁間の「温度差」が埋まっていなかった。
■10月中旬「総理のご意向」文書、示される
さらに別の文書には、内閣府から「総理のご意向」などと伝えられたとあり、前川氏の説明ではこの文書が示されたのは10月中旬。文科省に対する働きかけをさらに強めたとみられる。和泉補佐官から前川氏に再度、働きかけがあったのもちょうどこの時期だ。
18年4月に開学するには、新学部の設置認可の申請期限は17年3月末。それまでに設置方針について一般から意見を募るパブリックコメントや、事業者の公募手続きを経なければならない。前川氏は、和泉氏からの10月中旬の要求をこう受け止めたという。「タイムリミットで焦っていたのではないか」
これ『前次官「補佐官の焦り感じた」 度重なる働きかけを証言』と題した朝日デジタル5月30日04時26分の報道記事である。
役所へ出入りしてる者ならば大概解かっていると思うが、この前川喜平・前文部科学事務次官が言ってる事はほぼ100%真実である。ここで官邸側が違うと繕えば繕うほど、真実が暴かれる構図となろう。それほど官邸側にはショックな暴露証言と言えた。普通役人は退官したと言えどもここまでは言う事は無いし、なかった。この前川さんの気持ちを代弁すれば、決して正義感からした事でない事は良く解かる。思うに人間として、表向きは否定するだろうが、半分は「天下り問題で詰め腹を切らされた」遺恨である。発端は官邸側の菅官房の個人攻撃と言える。「出会い系バー」通いの人格否定発言だろう。菅官房の安倍首相を守るための、それこそ人間をクズ扱いしてまでも守ろうとした、いや安倍首相と言うより、内閣府の自分の失態を隠そうとし、目を逸らすためやった事だと言える。これにはさすがの事務次官経験者の前川さんも我慢がならなかったと思う。菅官房罪な事したものだ。彼があそこまで攻撃をせず、いくらかでも前川さんの気持ちを考えた対応をしてれば、前川さんもここまではしなかったろうと考えられる。私でも立場が同じだったら同じ事したと思う。元はと言えば今回の前川証言、元を正せば菅官房が寝た子を起こしたと言っても過言ではない! 心ならぬ識者連中、役人としてのコンプライアンス違反と位置付けているが、現状にはそぐわないと私は思う。世は正にSNSの時代である。かえって実名での証言である事を考えれば、それなりの意義感じられる。しかも、政治は己を有利に運ぶ政策や法律を勝手に作り、世紀の悪法(役所が自らの証拠隠滅利用)である個人情報保護法を逆手に、このような情報は決して日の目を見る事不可能だった情報を天下に晒した功績は大だったと言わねばならない。見方を変えればそれだけ政権側は好き勝手にやってた証明でもある。ここで不思議な事が二つある。まず一つ目はこれだけの不正を通り越しての疑獄事件と言える不正に何故検察が動かないかと言う事である。もう一つは、これだけの忖度と言うより、実際に指示したであろう宰相の政治案件介入、どうして自民党の国会議員たちから反発が起きないのか本当に不思議である。これらは戦後政治の最大の汚点と言えるのに、普段偉そうな事言ってる自民党の国会議員の面々、本当にその重大性を認識してない。こんな国会議員にはとてもじゃないが国政は任せる事は出来ないと私は思う。いや私が思う前に、もう今までの自民党でない事を今度の国政選挙で国民のしっぺ返しが証明してくれるだろう。覆水盆に返らずと思ってからでは遅いのである。