文科省の天下りあっせん問題 これは役人と言う気質である

 文部科学省が組織的に幹部の天下りをあっせんしていた疑いがある問題で事務方トップの事務次官が辞任する事態に至り、国の教育行政への信頼は大きく揺らいだ。省内には出直しに向けた望みとともに「なぜ文科省だけが責められるのか」とのうらみ節も漏れた。【三木陽介、内橋寿明、宮川裕章】

 辞任の意向を固めた文科省前川喜平事務次官(62)は東京大卒業後の1979年、旧文部省に入省した。義務教育行政などを担う初等中等教育局での仕事が長く、最近では不登校の子どもへの支援策に携わった。歴代文科相の信頼も厚く、文部科学審議官在任中は、白紙撤回された新国立競技場の旧整備計画を巡る文科省の検証チームの事務局トップを任された。

 2014年に創設された大学生らの留学を支援する初の官民協働の制度への寄付金集めでは率先して企業を回り、省内トップクラスの「成績」を収めた。

 前川氏はたびたび周囲に「今は再就職のあっせんはできない」と話していた。元高等教育局長が早稲田大に再就職した15年10月当時は、文部科学審議官。幹部人事は事務次官直轄で人事課が担当するため、ある幹部は「前川氏は直接には関与しなかったはず。詰め腹を切らされたのではないか」と推し量った。

 別の幹部は「退職後2カ月で『天下り』すれば、だれが見ても不審に思う。元局長や人事課は感覚がまひしていたのではないか。これを機にウミを出し切ってほしい」と憤った。

 一方、省内には不満もにじむ。「他省庁ではもっと大規模に天下りのあっせんがされている。『なぜ文科省だけが責められるのか』と多くの職員が感じているのではないか」

 波紋は他省庁にも広がる。国土交通省のある幹部は「人事課が関与しているということなら、省として組織的に関与したということ。次官の辞任は当然だ」と突き放した。

 経済産業省幹部は「次官が辞任するということは明確な法律違反があったということ。他の官庁ではこういうことはないと思うが、わからない」と言葉少なだった。
 
 
これ『天下りあっせん 次官辞意に揺れる 「ウミ出し切れ」「なぜうちだけ」』と題した毎日新聞120日の中部朝刊の記事である。
 
 
 しかし、役人と言う動物はズル賢い動物である。私がいつも言ってる事だが役人と言う動物は一言で言えば次に集約される。いわば私の役人と言う動物の定義と言って良い。
「役人・公務員とは与えられた仕事は忠実にこなし、決して前例を作らず、前例を踏襲し、責任と言う言葉に異常に反応し、その回避には天文学的才能を発揮する人種である。」
どうでしょうか。そうは思いませんか?
役人を変えようと思っても絶対に出来ないと知るべきである。それは何故か。彼らは絶対に一人では出来ず・やらず必ず集団で対処するからである。何をやるにしてもその集団・組合に事前通知や事前協議が必要で、絶対と言って良い程公務員改革は拒否され出来ないからである。昔から言っていよう。「赤信号皆で渡れば怖くない!」である。これを改革しようと例の橋下徹大阪市長が挑んだが、ある一定の効果を納めかけたが、彼一流の理屈(笑い)で止めて頓挫してしまった。それだけ入ってはならない要塞と化してしまっている。彼らの理屈を打ち破るには、法を作り、罰則と言う法で打ちのめすしかないのである。彼らは我々国民から立派な担保を取っている。「我々役人を叩けば、役人のなり手がいなくなり、現在の役人の行政へのモチベーションが維持出来なくなる、それでもいいか!」と言う言葉を。