元横綱千代の富士の九重親方が逝去、過去を考えれば国民栄誉賞の資格は与えるべきでなかった?

 大相撲の元横綱千代の富士九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。
 同親方は2015年名古屋場所を全休し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けた。その後は職務に復帰していたが、最近はがんの転移が見つかったとされ、闘病を続けていた。
 
 九重親方の略歴は以下の通り。
 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝。優勝31回。三賞7度。金星3個。89年には国民栄誉賞に輝いた。91年夏場所限りで引退後、年寄陣幕襲名。92年4月に九重を襲名し部屋の師匠に。08年2月に理事初当選。広報部長、審判部長、巡業部長などを経て、12年2月から事業部長。15年名古屋場所を休場し、膵臓(すいぞう)がんの手術を受けていた。家族は夫人と1男2女。現役時代は183センチ、127キロ。
 
 
これ「元横綱千代の富士九重親方が死去 がん転移で闘病」と題した日刊スポーツ 731()1845分配信
 
 
全ての方々がこの九重親方の死去を惜しんでいられるが、私は違う。故人となった今それこそその名跡を称えるのが道理だろうが、あえて私は生前への苦言を呈したい。彼の師匠は元横綱北の富士の12代九重だったが11代九重の元横綱千代の山と言えたかもしれない。この11代九重、分家騒動で名門出羽一門を破門され、高砂一門として九重を立ち上げた。そして11代が亡くなって千代の富士は、兄弟子みたいな12代九重(元横綱北の富士)に当時の北勝海(現在の八角理事長)と一緒に移ったのであった。その時が相撲界でも千代の富士北勝海を擁した12代九重(元横綱北の富士)部屋の全盛期であったと思う。その時である、相撲界最初(前にもあったがこの頃に常態が顕著になった)と言われる八百長相撲が蔓延したのは。その中心人物が当時の横綱千代の富士九重親方だった。色々問題になったがそれらを糾弾(追放された元力士板井と坂鉾が全て白状してる)すれば、国技としての相撲が破たんするとの理由で、最高裁でも玉虫色の決着となったのである。当時の八百長で動いたカネの大きさは今でも語り草となっている。その当時の横綱千代の富士が引退のキッカケとなったのが、当時人気が出始めた現貴乃花親方(元横綱貴乃花当時は関取貴花田)に敗れ、絶対八百長をやらないガチンコ力士貴花田に取って代わられると思い、今後の八百長相撲の不可能と知ったための引退と言われてる。そんな八百長付き合いのため信用が今いち、しかも自分の親方との名跡交換で、昨日の師匠が部下と言う関係になった九重親方横綱千代の富士)と陣幕親方(今までの九重親方=元横綱北の富士)つまり大逆転になってしまった。当然にそこには葛藤があった。そんなこんなだからこの九重親方横綱千代の富士)当然信用無く、弟弟子の八角親方(元横綱北勝海)が理事長となっても、理事選に出ても落選の憂き目となっていたのである。私はあえて言う大横綱の称号は許せても、国民栄誉賞の資格は与えるべきでなかったと言いたい。