横綱・稀勢の里(32=田子ノ浦部屋)がついに現役引退を決断した。師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が16日、明らかにした。進退を懸けて初場所に臨んでいた稀勢の里だが、初日から3連敗。昨年秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗となり、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱では貴乃花を抜いてワースト記録を更新したこともあり、その去就に注目が集まっていた。
前夜は東京都江戸川区の田子ノ浦部屋へ姿を見せ、約1時間半の滞在後に部屋を後にした。師匠の田子ノ浦親方と何らかの話し合いをもったもようだが、進退の決断や4日目の出場について態度を明かさず、関係者によると結論を持ち越していた。
稀勢の里は17年初場所で新入幕から73場所目にして初優勝。場所後に第72代横綱に昇進した。日本出身横綱の誕生は1998年夏場所後の3代目若乃花以来、19年ぶりとあって、日本中が「稀勢の里フィーバー」に沸いた。
続く春場所では13日目の横綱・日馬富士戦で左肩上腕付近を負傷しながら、千秋楽で大関・照ノ富士を本割で破り13勝2敗に。優勝決定戦では土俵際での執念の右小手投げで再び照ノ富士を下した。新横綱としては95年初場所の貴乃花以来、22年ぶり8人目の優勝。初場所から2場所連続優勝を飾ったことで「稀勢の里時代」の到来を予感させた。
ところが、強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかった。3場所連続優勝を狙った翌夏場所は、春場所で痛めた患部を悪化させ11日目から途中休場した。その後も故障が完治せず18年名古屋場所まで8場所連続休場。年6場所となった58年以降では貴乃花の7場所連続を抜いて横綱の最長連続休場を更新した。
看板力士として抜群の人気を誇り、相撲界を支えてきた和製横綱だが、ケガに泣き横綱在位は12場所。在位15場所だった入門時の師匠・鳴戸親方(元横綱・隆の里)同様、横綱の地位を長く務めることはできなかった。
のっけから申し訳ないが、私は大相撲が嫌いだ。何故かと言えば、殆どが八百長相撲だからだ。だから番付上の横綱は強い者だと言う観念は私にはない。横綱とは強いのはもちろんだろうが、本当は上手くやって横綱になったなと言うのが正直な気持ちだからだ。だが今回の稀勢の里は違った。実力本位で、つまりガチンコで横綱になった数少ない力士だからだ。だからこそ引退会見を見て私は唯一の日本人横綱の悔いの残る引退会見に涙したのである。思えばガチンコ横綱唯三の内の一人だった。貴乃花、大乃国そしてこの稀勢の里だからだ。苦しかったろうと思う。数学の確率と統計に照らし合わせても、横綱が常に一場所で13勝以上もすること自体おかしな事である。例えどんなに強くてもである。人間でありさえすれば、良い時も悪い時もあり、常に良い時ばかりとは言えないし、気分だってそうだ年中通して良い時ばかりではない。そう言う事を考えれば、常に13勝以上をコンスタントに上げるのは何大抵の事ではない。これは自然科学が当に証明してると言って良い。だからメンタルな横綱の事稀勢の里だってこう言う勝てない時だってあるのに、ある意味可哀そうである。もし私が相撲協会の理事長だったら、もう少し長い目で見てやらしてあげるのに、本当に残念である。こう言う自分の苦しみを他人に教えてあげる指導者の横綱を目指して頑張ってもらいたいと私は願っている。ご苦労様稀勢の里ゆっくり休んで下さい。