3歳と言う幼児を殺すなんてこんなの親でもないし人間でも無い!またそれを弁護する弁護士も同じように感じる

 当時3歳の次男をうさぎ飼育用のケージに閉じ込めて死亡させ、遺体を捨てたとして、監禁致死と死体遺棄の罪に問われた父親の皆川忍(31)、母親の朋美(28)両被告の裁判員裁判の初公判が25日、東京地裁(稗田雅洋裁判長)であった。2人は監禁と死体遺棄は認める一方、死亡との因果関係は「分からない」などと述べ、一部争う姿勢を見せた。
 検察側は冒頭陳述で「言うことを聞かないからという身勝手極まりない動機で、犯行後に隠蔽(いんぺい)工作もした」と非難。忍被告の弁護人は、いたずらを繰り返す次男に手を焼き、生活を守るためやむを得ず閉じ込めたと反論した。
 起訴状によると、両被告は2012年12月下旬~13年3月3日、東京都足立区の当時の自宅で、次男玲空斗ちゃんをケージに入れて監禁。タオルを口にくわえさせるなどして同日ごろ窒息死させ、段ボール箱に入れた遺体を山梨県内に運んだ後、同県鳴沢村か足立区の荒川に遺棄したとされる。
 
 

これ「3歳児死亡、両親一部否認=うさぎ用ケージに監禁-東京地裁」と題した時事通信社225()1206分の報道記事である。

 
 
 先日も子殺しがあったが、本当にこれが親なのか。人間なのか。
私はこのような事件が起こるたびに、その時のその子を思うと余りに惨く震えが止まらない。サバンナや世界中どこにでもいる猛獣でさえも我が子を庇(かば)い、一人前に成人するまで見守り、生きていく術(すべ)を教えると言うに、この人間の親は猛獣である動物以下なのか。こんな事言えばまた若者に「キモイ」「ウザイ」と言われるが言いたい、もっと相手を敬えと。何故こうなってしまったのか。全ての原因は、そう言う方々に怒られるかも知れないが、我が日本の経済成長期に、この中流階級に至る過程での、都会に見る一家5人くらいの家庭がアパート等の二間、間生活の歪の中にあるように思える。それだと断定は出来ないが、戦後の成長期の一時期に「カギっこ」と言うのがあった。働かなくてはならない両親の日中の不在時に、学校から帰宅する児童が家のカギで家に入る様である。それなりの価値観のある両親は必死に子供に教育をしようが、そうでない親たちはそれさえもせず子供の自由に、子供の思うがままの生活をさせてしまう。そう言う家庭の歪がこのような親子の絆さえ教えられずに終わった結果、こう言う子供、こう言う親に育ってしまう。上手く言えないが、家庭の崩壊?それさえも解らない親たちがこう言う事件を起こしてしまうのではと私は考えてしまう。本当に悲惨である。またもう一つ思う事がある。こう言う訴訟の被告の弁護をする弁護士の事をである。いくら弁護士は被告の利益をと言っても、そのためには何をしても良い事にはならないからである。私は思う。こう言う場合の被告の弁護士は、その罪の軽さを争う前に、まず被告に、その起こした事件の責任の所在とその責任の重さを先に教え、起こしてしまってからの罪の償いの程度よりその起こしてしまった過程の意味の重大さをまず教えるのが仕事ではと思う。それがその弁護士のその人間性でもある。そんな人間性の有する弁護士がいなくなったように感じる。要するに程度が低くなったのではと感じてる。六法全書を片手にの弁護士等いらない。全く残念である。