長谷川豊なる者の集団的自衛権への考え、私には非常に軽い程度が低いと感じた

 前回のブログは長かったですね…。いや、ホント長かったです。

 ハンドルネーム「弁護士」さんには申し訳ないことをしました。あんな長い文章を読んでいただいた上に、冷静にコメントまでいただき、感謝、感謝です。短い言葉にまとめるのがお前の仕事だろってね(苦笑)。長すぎてすみません…。
 さて、イスラム国を名乗るテロリストたちのニュースはテレビでもすっかり報じられる時間が少なくなったので、ここらへんで冷静に分析をしてみたいと思います。政権批判をしたい人たちは、今回の件を「利用」してギャースカ言ってましたが、そういう人って、普段から批判ばっかしてるので、それは置いといて…。
 さて、僕は今回の件を受けて、自衛隊がどう動くのかを注視しています。たまに、「長谷川さんは集団的自衛権に対してどう思いますか?」という質問が来るんですが、話が今ひとつ面白くないのと硬い話になりがちなので、今まで答えていなかったんですが、今回の件って、結構いい試金石になりそうな気がします。なので、出来るだけ分かり易く、僕の個人的な分析の仕方を書きますね。
 まず、今だにヒダリっぽい人達とミギっぽい人達が言い争ってる中に「憲法9条」の話があるでしょ?「戦争放棄」のやつね。「国権の発動たる戦争」とか「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては…」とか、マジで… 難しいこと言ってる自分に酔っぱらいまくってる、本当は頭の悪い人たちの作文が並んでるあの文章ですが…あ、先に行っときますが、僕は「難しいことをムズカシク言う人」って、頭悪くて脳力の無い人と定義づけています。これは譲る気はありません。間違いありません。頭のいい人って、基本的にはあらゆることを中学3年生くらいならだれでも理解できるように話すものです。覚えておいてくださいね?難しい漢字とか使いたがる人たちいるでしょ?あの人たち、全員アホだと思っててください。それで合ってるから。
 ディスってないで先に話を進めますが、「戦争を放棄」する、いわゆる「平和憲法」ですが、これってね~…アナウンサーの試験だったらすぐに落第になるレベルでして、何をもって「戦争」とするのか、何をもって「平和」と表現するのかが…いい加減すぎるんですよね。なので、その適当な部分が論戦になっちゃうんですけれど、今日は「戦争」についてだけ言っておきますね。
 「戦争」って簡単に言いますけれど、3パターンあると思います。これをゴチャマゼにしちゃうと、話が進まないんです。大きく分けると、
【パターン1】
完全な防衛戦争=例えば中国が、例えば、北朝鮮が、日本に宣戦布告するなり黙ってでもいいんですけれど、攻め込んできたとしますよね?場所的に…北九州とかに攻め込んできましたよって…。そんなこと起こらないと思うけれど、もし仮にこうなっちゃうと、「戦わざるをえない」ですよね?だって攻め込まれてんだから。これは「戦争」と表現せざるを得ないので一つ目の戦争です。
【パターン2】
完全な侵略戦争=例えば、日本って、資源がないですよね?中国、資源たくさんありますよね?欲しいな、おい、と。石炭、すげー欲しいぞ、と。なので、攻め込んで殺しまくって、領地を占領しましたよ、と。石炭ゲットだぜー!イヤッホー、みたいな。完全にアウトな感じですが、これは「戦争」ですよね。んなこと、今時やらないけど、これは2つ目のタイプの戦争といえます。
で、問題なのが次ね。
【パターン3】
防衛してるだけなんだけれど、場所は日本以外=これがややこしいんですよ。ここの定義をしていないので、戦後70年もたってんのにギャースカ言い合ってるわけです。
分かり易く言うと、イスラム国を名乗るテロリストが「宣戦布告」をしてきましたよ、と。「日本人、みんな殺してやるぞ、コラ」みたいな。で、そいつらの本拠地がシリアの北部にありますよ、と。そうなった時なんですよね。おいおい、日本人守らなきゃ殺されちまうぞ?と。でも、その為には自衛隊を派遣しなきゃいけなくない?みたいな。ここが難しいって言われてるところです。
 大事なことは、「宣戦布告」ってことをされた段階で、もう「戦争」は始まってるんです。一応。日本って、すでに明確な「宣戦布告」を受けているので、みんな自覚ないだろうけれど、形上だけは「戦争状態」に入っているってことを覚えておかないといけないんだけれど、こういう時、どうするのってところで意見が割れてるわけですね。
 「防衛戦争」ってのは当然やってもいい訳です。って言うか、それをやらなかったら責められて終わりです。占領されるまで指をくわえてろってのはもはや国家じゃないですから。これはサヨクっぽい人でも、大体はさすがにまぁ…認めてるところです。なので日本でも「自衛隊」が出来たわけだけれど。
 「侵略戦争」ってのはさすがにウヨクでもなしです。そんなもん、誰もしません。2015年のいまどき。サヨクっぽい人たちの話が全然支持されなくて、みんなそっぽ向きい始めてるのって、行き過ぎたサヨク軍団の主張って、安倍は侵略戦争したいんだぜー!アイムノット安倍だぜ~!とか言ってるからなんです。いや、話、飛んでるだろって。そんなこと、一言も言ってないだろって。落ち着けよってね。で、問題は僕らみたいな中間の人間たちがまだ迷って、意見の割れている…【パターン3】についてどうするのかって話なんですよね。
 2001年9月11日に、アメリカを攻撃されているように見えて。あのワールドトレードセンタービルには日本の企業が入っていたわけだから、当然日本人が何十人も犠牲になっているわけですよね。で、アルカイダビンラディンは「西側諸国に攻撃する」と宣戦布告したんだから、日本は宣戦布告されているんです。その中の一員なんだから。って言うか、日本人、殺されてるし。
 今回のイスラム国を名乗るテロリストも同じですよね。明確に日本に対して「宣戦布告」をしてきた。
 こうなった状態で、じゃあ、なんで「自衛隊」を持ってるのって?なんで「自」分たちを「衛」る「隊」ですって名乗ってるのって話になっちゃうんですよね。ここは…皆さんの考え方を分けるとしたら、2タイプに分かれると分析できます。
 Aタイプ=テロリストは日本の領土に戦争なんて仕掛けてこない、と信じる。逆に、日本人を信じない。なし崩し的に暴走し、戦争をしようとする、と予想する方々。
 Bタイプ=テロリストは日本人や日本を攻撃する可能性がある、と予想する。逆に日本人を信じる。自衛隊が日本人を守るために海外に行っても、その後、なし崩し的に侵略戦争なんてやらないと予想する方々。
 これはですね…もう価値観の違いです。僕みたいにニューヨークとかで生活して日本の常識が全然通じない世界を見ちゃうと、完全に価値観はBタイプになります。そう。僕は自衛隊の海外派遣、全面的に賛成です。世界では、「日本の常識」の方がよっぽどマイノリティーだから。奪いたければ奪うのが常識なので。
 でも、安倍さんのことを信じられなかったり、さすがにこんなに遠い日本の地にまで攻撃なんて仕掛けないだろー、世界に出て行った日本人なんて殺されてもしょうがないだろーって感覚の人はタイプAだと思います。それはそれで間違ってもいないんですよね。なので、難しい。未来なんて予測できないので。正解なんて出ていないので難しいんですよね。まぁ、サヨクっぽい人の妄言は最近、あまり誰も相手にしなくなってきてるのでほっとけばいいんですが、【パターン3】に関しては、すでに現実のものとなっているので、みんなも少しは考えた方がいいかも知れないですね。

これ「僕は自衛隊をちゃんと派遣すべきだと思う」と題したかの長谷川豊氏の14日のブログを紹介した、ライブドアBLOGOSの報道記事である。
 
 安倍首相の「集団的自衛権の行使」容認について、日本国憲法第9条と絡め難しくゴチャゴチャ言ってる人は頭の悪い人たちの作文とまでコキ下ろしているが、私に言わせればこの人ほど頭の悪い人は居ないと声高に言いたい。何故なら日本の日本人の内政的受け止め方と外交的、他国の見方をゴチャマゼにしてるからである。じゃあ何故先日の「イスラム国」が何故敵視して日本人を殺害したのか。安倍首相は戦争に加担せず、あくまでも人道上の支援に対しての援助と言ってるが、それは我々日本人としての考え方であり、決して全世界の全ての国々が、それを理解してくれた事では無いのである。だからこそ、「イスラム国」は敵国への援助はどんな形でも、敵なのである。またこのことに関して言えば、囚われたのが数か月も前であったにも拘らず、何もその救助に努力せず、しかも解ってて中東で2億ドル支援を表明した事は、海外に居る邦人の危険等頭の中に非ず、自分を誇るのみ考えでの表明であるからして「イスラム国」を非難する資格非ずである。 また逆にそれと反対に、今回の安倍首相の中東訪問での「2億ドル支援」表明は、よくぞ言ってくれたと評価する国もあり、国夫々、人夫々皆顔が違うように、考え方もまるっきり違うのである。この集団的自衛権の問題、我が国の歴代政府は、密接な関係にある他国を守るため、自国への攻撃がなくても戦う権利、国連憲章は全ての国がこの権利を持つとする一方、戦争放棄をうたう憲法第9条のもとでは認められないとしてきた。それは好むと好まざるとに拘らず、敗戦国ニッポンの悲願の戦争放棄を謳う世界への平和への決意表明であり、それを解釈次第でどうにでもなるように変えれば日本政治史上最大の汚点となるは必定であり、もう一方の与党公明党は平和の党としてのそしりは免れないと思う。内国的には国民への気遣いそのものであり、それの解釈変更は、例えどんな理由があろうとも、変えてはならない先人の遺訓である。それを自分の都合でどうにでも変えられるようにするとは、先人への冒涜である。それらを考える時、誰がどんな考えもってしても非難は出来ないが、私はこの男長谷川豊なる者にはそれを考え出来得ない非常に程度の低い軽い男と断定したい。