フリーアナ長谷川豊氏の「憲法の改正に反対の人たちは、単なる勉強不足」との指摘に異議あり!

 今日は憲法記念日ですね。
  僕は以前から何度も書いている通りで、憲法の改正に賛成の立場です。…と言うか…憲法の改正に反対の人たちは、単なる勉強不足としか思えない、と言うのが僕の意見です。
  日本で現在の憲法が公布されたのが昭和21年11月3日。施行されたのが翌22年の5月3日だったわけですね。まぁ、「日本国憲法」なんて偉そうに言っていますけれど、戦争に負けた日本に、GHQ…要はアメリカが押し付けてきた憲法です。
 それから、70年近く。
  日本人は「病的に」変化を嫌います。とにかく、変化することが怖くてしょうがない民族です。ここまでビビりまくる民族って他ではなかなかないでしょうが、とにかく日本は…今まで一度たりとも「憲法改正」をしようとすらしませんでした。
 ここまで時代は変わっているのに。ここまで生活も変わっているのに。ここまで世界情勢が変わっているのに。原爆を落とされてビビりまくって、完全に負け犬と化し尻尾を丸めたままの、あの時のままの憲法を後生大事に、まだ懸命に従い続けています。
  逆にすごい。これは。
 ちなみに、僕が憲法を改正した方がいい…と言うか、なんでしないのかがよく分からないのだけれど、改めて理由を言うなら、以下の3点の理由になります。
1、いや、諸外国では普通なんですけど?
  国立国会図書館から出されている「政治議会課憲法室」っていうリポートがあるんです。それの中身を読んでもらえれば一番分かり易いのですけれど、まず…日本人に大前提をお伝えしておきます。世界では…
 憲法って、改正するの、当たり前だからね(涙)?
 ものすごく厳しい規定を強いていて、なかなか憲法の改正が出来ないアメリカであっても1945年の終戦から2010年までの65年間で6回の改正が行われています。ちなみにアメリカでは日本よりもずっと憲法の改正なんてものは厳しくて「連邦議会の両院の3 分の2 の賛成による修正の発議」と「全州の4 分の3 の州議会の賛成」とかが必要になってきます。いや、ほとんど無理だろ、と突っ込みたくなるレベル。
 そのアメリカでも6回改正が行われています。まぁ10年に1回ほどしかできないわけ。
 同じ1945年から2010年のデータで言うと各国は…
 中国→9回
  韓国→9回
 オーストラリア→3回
 イタリア→15回
 カナダ→16回
 フランス→27回
 ドイツ→57回
の改正を行っているんです。…っていうか、ドイツ(涙)…いや、いいや、他の国のことをディスってもしょうがない。このデータを見て頂いても分かる通りなんですけれど、世界的に見て、65年とか70年とか時代は変わっているにもかかわらず、憲法は「変えてない方がおかしい」んですって。
  時代は変わってるんですよ?世の中、どんどん変わってるんです。普通、改正するだろ。「護憲派」とか言って憲法を改正するのはダメだぁ!戦争になるんだぁ!みたいなこと言ってる人たち、お願いだから世界に目を向けてくれ。日本が普通じゃないだけだから。
2、事実上…9条が完全に無視されてる
 日本人の中には「9条は日本の誇りぃぃぃぃぃ!」「平和憲法バンザァァァァイイィィィ!」って言ってらっしゃる人たちがいるわけですけれど…いや、無視されてるじゃん?もうさ。ごまかすのやめない?カッコ悪いし。改めて、9条を見てみ?
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 」
  「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 いや、いいと思いますよ?僕も嫌いなわけじゃあないです。もちろん、平和が一番。日本が平和!平和って言ってても、他の国がそうしてくれる保証は全くないけれど、とにかく、日本としての方向性は僕はそれで正しいと思いますよ?でもね、
  戦力…持ってるよね(涙)?
  陸軍的戦力も海軍的戦力も空軍的戦力も、全部思いっきり持っちゃってますよね?皆さん、カマトトぶるの、やめようよ。「戦力」なら、持ってますよね(涙)?普通に地震とか起きたときに頑張って復興作業とか、してくれてますやん(涙)。我らが自衛隊のお兄さん方が。
 そりゃあさ、いいと思いますよ?理念はね。理念と方向性はそれで僕もいいと思う。でも、「交戦権を認めないって言ってるから何されても黙ってるんだぁぁぁぁ」って言ってるうちに、竹島、占領されてるじゃん(涙)?カムサムニダーっつってるうちに、もう、実効支配、何年目だっけ?あそこ、もう返してくれないと思うよ?
 ニーハオ、シェーシェーっつってるうちに、あのギョーザが好きな国も尖閣諸島、かすめ取る気、満々じゃない?このままほっといたら、持ってかれると思うのですよ。
 そりゃそうよね?
  「権利」は「主張」するものです。嫌なら「拒否」して、「戦う」のです。それが世界の常識です。「空気を読んで、周りの人が不快にならないようにみんな仲良くするのでちゅよ~」って言ってるの、世界で日本だけよ?ちなみに「空気を読む」に完全に該当する英語って存在しないって知ってました?…いや、まぁいいや、その話は別でしよう。
 世界は、「主張できる権利」が存在するなら、「それは取りに行く」ものです。その時に「拒否」したり「抵抗」しなければ、
 ゆずったのと同じなのです。それ、当たり前だから。そもそも、「戦争をしたくない、いや、しないでおこう!」っていう理念と、「したくても、しなければいけなくても、とにかく、戦争は何が何でもできないんですぅ~」ってのは、リンクしてないです。 今、アメリカ様から押し付けられた日本国憲法って、完全に後者なんですけど、なんでみんな納得できるんだ?僕は、そっちの方が不思議なのです。
3、自分たちで作ろうよ
 で、結局、これに尽きるのだけれど、僕たち日本人ですよね?GDPは世界第3位の、十分立派な国家ですよね?じゃあさ、さすがにさ…
 自分たちで作ろうよ。憲法くらい(涙)。って思うのです。僕ですね、極端な話、全文同じでもいいって思ってるんです。僕の中では9条は変えるべきって思ってるけれど、そう思っていない人も多い訳じゃないですか。じゃあ、そのままでもいいんです。最初から最後まで、全文同じでもいいんです。それでもいいから…
 日本人が考えた、日本人が作った憲法で生きていきたい。
 やっぱり、戦争に負けたんだからっつって、戦後、アメリカに叩きのめされた後、全部言うことを聞いたわけですけれど…その段階ではわかるんですよね。でもね、もう70年もたってるわけでしょ。僕らの親世代も生まれたかどうかなわけです。僕ら世代なんて、受精卵にもなってないのです。そんな時代のこと、押し付けられても知らんし(涙)。
 僕は「憲法改正」って言いながら、僕ら日本人が考えることが出来たのなら、全文が同じでも全く問題ないって思っています。ただ、日本人なので、憲法くらいは日本人が決めたもので生きたいなぁ…と。
  戦後70年。もうそろそろ、僕は「日本人が考えた」憲法の下で生活したい、そう思っています。

これ「憲法って改正するのが当たり前じゃないか? 」と題したライブドアBLOGOSの 長谷川豊の5月3日21:58の記事である。

 私は最初に驚いた。この人「憲法の改正に反対の人たちは、単なる勉強不足としか思えない」と言った事である。確かに人間顔が皆違うように考え方も皆違うの当り前である。他人の好き々々笑うのバカだと言う事も解っている。だからどんな人がどんな事言おうとそれはそれで自由である。
 最初に断っておきたいが私はカッチカチの護憲主義者でも無く、どうしても改正派でも無い。でも言える事は広島や長崎の原爆被害の敗戦国だからこその戦争の放棄であり、それはどんなに世の中が変わっても不変の精神であると言う事である。これだけは日本国民として絶対譲る事の出来ない精神である。
 私は現在の憲法論議を見る時に「押し付けられた憲法」「古い憲法」と言う言葉に違和感を感じる。そう言う事よりも、この憲法が我々国民に不都合なのかどうかを真っ先に考える。今論じられてる「集団的自衛権」の問題では、私の考えでは現憲法は何の問題も無い。何故なら、この長谷川さんはGHQに押し付けられた言ってるが、敗戦国だからこそGHQは我が国に戦争を放棄させ、何かの時にはアメリカが責任を持つ、だからこその米軍沖縄の駐留なのである。私から言わせれば、もしこの「集団的自衛権」の問題は米国との安全保障条約を解除して、沖縄から米軍を撤退させてからの自衛権の問題と解釈している。
 この長谷川氏のような、こんな低俗な人間軽い人間居たんだと正直驚いた。   この方何か勘違いしてる。古いものが悪く新しいものが良いとまでは言ってないが、その憲法に対して比喩的思考が狂ってる。憲法と言えばその基での人間の最低のルールである。会社に定款と目的があるように我々人間が生活して生きる上での最低のルールである。それは決して他人に干渉されてはいけないし、比較も出来るものではない。要はその基での我々人間がそれを如何に無理なく受け入れる事が出来るのか、それを普通の事の様に甘受出来るのかに尽きると思われる。この長谷川氏日本国憲法は敗戦の勝者GHQの押し付けとのたもうた。確かに史上違わないとは否定はしないが、敗戦国だったからこそ、戦争放棄の概念が植えつけられた事は否定はしないだろう。まただからこそ現在の日本がある事も否定はされないと思う。これを証明する良い事例が最近あった。昨年暮れのイスラム過激派組織「イスラム国」とみられる組織がフリーランスジャーナリストの後藤健二さんを殺害した事件である。彼は危険を承知で真実を報道しようと、単身「イスラム国」に渡ったのであるが、彼は日本人である事で楽観視していた。彼程の男でも読みが外れたと言っても良い。それは何故か。かれは幾多の修羅場をくぐって来れたのは戦争放棄をし、憲法第9条の国日本人だったからであった。彼は今回いみじくも言っていた。イスラム国と言えども、戦争放棄の国日本人は敵視されていない。たしかに高をくくっていたのかも知れない。今回の殺人はそれとは関係ない理由で殺害された。これを見ても、世界各国で、日本人をターゲットにそたテロが起こっていない事もそうした理由によるものである。
 話を戻せば、彼長谷川氏が言っている、他国が何回憲法改正をしようとも、そんな事は関係なく、その国民が自国の憲法を心から受け入れているかに寄るのである。自国の憲法を満足しているかに寄るのである。これは決して相対性の理論でない事は明らかである。