一夜明けて治安当局が突入、武装グループは制圧されたが、店内で人質になっていたとみられる複数の日本人と連絡が取れないことが判明。「信じがたい…」。現地の邦人社会には衝撃と動揺が広がり、日本政府や会社などは情報収集に追われた。
現地報道などによると、武装グループは店の出入り口を封鎖し「アッラー・アクバル(神は偉大なり)!」と叫びながら発砲。爆発物を投げ、店内を制圧した。スタッフら10人以上が建物の階段を上がり、屋上から飛び降りるなどして逃げ出したが、多くの客は人質にとられた。
飲食店の隣に住むレストラン経営の女性(49)は発砲音で異変に気づいた。窓から様子をうかがうと、駆け付けた警察官と武装グループが銃撃戦を展開していた。
周囲は暗く、詳しい様子は分からなかったが、銃声の中で懇願するような男性の声が聞こえてきた。
「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」。女性は産経新聞の取材に、「まるで戦争のようだった」と話した。
近所の男性は銃撃戦を動画で撮影した。「3分ほど前から始まった。とても大きな音。ああ、まだ続いている」。動画の中の男性は恐怖で声を震わせていた。
現地新聞などの報道によると、双方の発砲は徐々に散発的になり膠(こう)着(ちゃく)状態に陥った。
店内に取り残されたウエーターは、親族への電話で自身の周囲に複数の遺体が横たわっていると伝え、「人質は危険な状態。武装グループは『警察が発砲した場合は殺す』と言っている」。家族連れで飲食店を訪れ人質になった男性はおじに電話をかけ「お願い、助けて」と訴えた。
イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)系メディアは、武装グループが殺害したとする遺体の画像を配信。武装グループは人質全員にコーランを暗唱するよう求め、暗唱できた者には危害を加えなかったという。
死傷者が出た治安当局側は午後11時ごろ、いったん距離を置き、銃撃や爆風に備え防弾チョッキやヘルメット、重火器をかき集めた。2日未明、武装グループとの接触を試みる一方、突入に向け装甲車の手配など準備を進めた。
午前4時45分ごろ、治安当局関係者がジャーナリストらに対し、飲食店から離れるよう要請。その約3時間後、治安部隊は装甲車を配置した上で、自動小銃などを持った隊員たちが突入した。
銃声と爆発音が響く中、顔や衣服が血まみれになった隊員らが最前線から後退する場面も。現場にいた警察官の一人は「あられのような弾丸と手投げ弾に見舞われた」と話した。
次々と人質が救出されたが、飲食店の中を見たという隊員は「血まみれの人が5人いた。亡くなっていたかは分からない」。その後、飲食店内で多数の人質が死亡していることが判明した。
近所の女性は「家族連れも多く、みんなの憩いの店だった。ここでこんなことが起きるなんて…」と絶句した。
昨年1月30日にIS(イスラム国)に拘束殺害されたフリージャーナリスト後藤健二さんが、殺される1週間前に「生きて戻る」と残したメッセージを見れば、彼がいみじくも言っていた「日本人はISに嫌われていないんですよ」と言ってた言葉が当時の日本国の世界での現状を如実に物語っている。あの凶暴なISが日本人を嫌っていなかった。と言う事は世界中の各国が日本人を嫌っていなかったとも言えるのである。もちろん北朝鮮と韓国を除き(但し、殺したい程との注釈付き)ではあるが(大笑い)
もちろん私の独りよがりの考えではあるが、これは日本国の憲法のお蔭と思って良いと思われる。がしかし、昨年我日本は憲法9条の解釈において、「集団的自衛権」の行使容認を決定した。と言う事は以来今後は、各国は日本を参戦権の国と考え標的に考えても不思議ではなくなる。例え積極的に狙わなくても、今までのISが参戦しない国の国民としての日本人を気遣い気にしていた事は放棄出来、かえってやり易くなったと言えば言い過ぎか。いづれにしても今回のバングラデッシュテロ事件、間接的には日本国政府の責任と言えなくも無いのである。だからこそ日本人が無意識に「アイム・ジャパニーズ、ドント・シュート(私は日本人です、撃たないで)」。女性は産経新聞の取材に、「まるで戦争のようだった」と話した。との記事がそれを良く物語っている。