人間の命を預かる町医者に憤るが、師、士、者と名の付く専門職はオールラウンドプレイヤーでなくてはならない?

 先日私は長年のブロ友にコメした。が私のオールラウンドプレイヤー説をご理解頂けなかった。私は長年の商売人生でこれほど自説に納得した事は無かった。
 先日私の長年のお客様の奥様が緊急入院した。聞けば、主治医と言っても良い何10年もお世話になってる、医院に行っていつもの薬と注射をして来たばかりだった。がとても体がだるく、顔色が青白く様子がおかしかったので、どう言う訳かその時に、いつもの医院に行かず、市の救急指定病院になってる総合病院に行ったのである。すると、診たその医者が血相を変えて、これは不味い直ぐ入院をしてと言われ、取るものも取らず、緊急入院した。腎臓が機能を果していず、結果的に透析治療と相なったのだそうな。本人はとにかく残念と後悔の間(はざま)で一晩中泣き明かした。「腹水盆に返らず」、つまりはこぼした水は元には戻らないの例え通り、この奥さんの体は元には決して戻る事ないのである。私は他人事ながら憤りを抑えられなかった。何で医者たる者が解からなかったのか、いつもの患者である。顔色や様子で解かった筈である。例えこの医者のように、専門が胃腸科であっても、内科と言う看板掲げていれば、当然にその責は免れないのではと思うが、医療の世界にあっては免れると言う事なのか。こんな不条理無い筈であるが、民事で争っても医療訴訟には患者側に勝ち目が無いのが通状である。
 私はこのような医療に限らず、師、士、者と名の付く専門職、身近なものでは医師、弁護士、建築士司法書士行政書士等、また私のように、宅地建物取引主任者と言われる者は、オールラウンドプレイヤーでなくてはならないと思っている1人である。それは何故か。その前に現状をお話しておくと、現在のその専門職は自分の職域さえ満足しておけば、良いと思っている方々が大半である。私の知ってる司法書士等は酷いもんである。私のお客様は不動産の売買だから100パーセントが所有権の移転が絡むから、司法書士が必ず存在する。この司法書士は決まって、「私は司法書士だから税金はわからないから、それは税理士に聞くようにと、平気でお客様の前で言う。確かに法的にはその通りであるが、お客へのサービスと言う事を考えた場合に、「そりゃあないだろう」と言うのが私の考えである。私はお客に対しては、時には自分に不利ではあるが、今回は貴方の資産では買えるには買えるが、今後の生活設計を考えたら、ローンも組めるは組めるが大変なので、自己資金が貯まるまでチョット待った方が賢明だ。不動産取得税と、1年後に来る住民税や固定資産税やもう1人ほしいかも知れない子供の事考えるとそれなりに大変だから、もう1度考えた方が良いのではと助言をする。もしかすれば老婆心かも知れないが、予想し得る想定を知らしめるのも我々専門職の使命と私は理解して仕事している。他人によっては、私をバカだと言ってるのも知っているが、それが専門職の当り前の仕事と私は思っている。先ほどの司法書士に話を戻せば、私とは、価値観を共有出来ないお方なので当然にお付き合いをお断りをした。私は表題の医者に限らず、専門職はその専門の部だけでない、それこそ全てにおける消費者と言う人間に対しては、オールラウンドプレイヤーでなくてはならないと思っている人間だから、常に最新の注意を払い最新の情報を知るための精進だけは怠らなくやろうと思っている。それがひいては消費者のためになり、信頼される因となり得る事を信じて止まない1人と思っている。