司法試験は人間としての常識問題も課すべきである

 司法試験の合格者数を「年間三千人程度」とする目標を撤回するという。法科大学院離れも進んでいる。もう一度、司法制度改革の理念に立ち返り、若者が魅力を感じる制度を論じ直してほしい。
 二〇〇四年に志願者が約七万二千八百人もいたのに、今年は過去最低の約一万三千九百人まで減少した。法科大学院の人気はそこまで落ちているのだ。
 しかも、入学者約二千七百人という数字は、定員の63%にすぎない。多くの大学院が定員割れを起こしている。
 原因ははっきりしている。司法試験の合格率が二割台に低迷しているからだ。高い学費を払って、大学院に進んでも、司法試験に合格しにくい。合格しても、就職難が待つ。その結果、法曹を志す人自体が年々、減っていく。悪循環に陥っているわけだ。
 政府の法曹養成制度検討会議は先月下旬、司法試験の合格者数について、「年間三千人程度」という計画を撤回するなどの提言をした。大学院の定員削減や統廃合をさらに進めることや、受験回数も「五年で三回」から「五年で五回に緩和する」とも述べた。
 だが、合格者数の目標値は示さなかった。成績不振校に対する「法的措置」に触れたものの、具体的な中身については、「新たな検討体制で、二年以内に結論を得る」とのみ記した。これでは問題の先送りだ。
 もともと、さまざまな場面で、医師のように身近で頼れる法律家が求められていたはずだ。多様性に富んだ法曹を養成することが必要なことに変わりはない。
 大学院を経ずに司法試験が受験できる予備試験制度があるが、志望者はこちらに殺到し、“特急コース”となっている。この制度は、大学院に進む資力のない人や、社会人らに限定すべきではないだろうか。現状のまま、この枠を拡大すると、法科大学院制度が空洞化する恐れがある。
 むしろ、医師国家試験のように、真面目に大学院で勉強した者は、ほぼ全員が合格できるような仕組みにしてはどうか。そのためには、難問クイズのような司法試験の改革こそ必要だ。
 法曹という狭い世界だけでなく、官庁や企業など幅広い分野で、法曹資格を持った人材は活用できるはずだ。
 とくに法案をつくる中央官庁などでは、大胆に採用を増やすべきだ。視野を広げた制度改革論が求められる。
 
 
「改革の理念に立ち返れ 法曹養成」と題した中日新聞の報道である。
 
 
 法曹人口や法科大学院のあり方を考える政府の法曹養成制度検討会議(座長、佐々木毅・元学習院大教授)は26日、最終会議を開き、最終提言を承認して終了した。7月の法曹養成制度関係閣僚会議に提出され、政府は新組織を作って検討を続ける。司法試験合格者を年間3千人程度とする政府目標が撤回されたほかは、司法制度を支える人材の育成に関する主要テーマで具体案が示されず、問題先送りで終わった。
 受験テクニックばかりで応用力に疑問がある受験者が多いと批判された“一発勝負”の旧司法試験制度に比べ、「国民の社会生活上の医師たる専門的職業人としての自覚と資質を備えた人材育成」を掲げてスタートしたのが法科大学院を柱とする現法曹養成制度。だが、法科大学院全体の司法試験合格率が約20%にとどまるなど危機的状況だ。
 法曹人口を増やすために合格者数をアップさせた結果、弁護士人口の供給過多も進み、就職難状態に。法科大学院入学から試験合格、司法修習といったプロセスを経て法曹資格を取る時点で若い人も20代半ば過ぎの年齢に達し、企業への転身も難しい。法曹界は質量ともに人材難と劣化に歯止めがかからない“負のスパイラル”に陥り始めた。複数の法曹関係者は「制度の設計時点で、法科大学院の数と司法試験合格者の数が多過ぎた」と、法曹人材の需給アンバランスが生じた点が問題とみる。
 企業内弁護士として活躍する松原功日本生命保険リスク管理統括部長は「法曹へのニーズは伸びるが問題はスピード。年間1千名超の新人弁護士を吸収するには至っていない」と指摘。「養成にかかる時間も長過ぎ。大学法学部、法科大学院司法研修所の役割を整理し、教育期間を短縮するのも一案」と述べた。
 

こちらは『法曹改革 多難な道 「司法試験年3000人合格」撤回』と題した産経新聞の報道だ。
 

 これらの報道を見るに、私は以前より不思議に思っていた。
 どうも政治に携わる人そして国民全ての方々は、弁護士と言う職業を特別視してるのではないのかと常に思っていた。需給のバランスを考えるとしたならかなり慎重に期さないととんでもない事になるからである。いつだったか忘れたが、かなり前に、歯医者さんの数が足りないとして、国でその要望を取り入れ、確か2~3倍くらいにした時があった。それがどうだろう、現在は余りにも歯医者さんの数が多過ぎ、都会では倒産も多いと聞く。これも当時慎重に需給のバランスを考えた末の政策だったと思われるが、現在の少子高齢社会のスピードの見誤りと言えよう。だから弁護士資格もそのようにと私はは言ってるのでは無い。
 私は拙ブログで常々言ってた事ではあるが、私は商売柄、法律に従う場面結構あるのである。そう言う場合はやはり頼るのも弁護士、戦うのも弁護士なのである。そう言う経験から言わせて頂けば、10人中9人までが、知識はあるが、人間としての温かみの常識に欠けていた。皆さんえっ!と仰るかも知れないが私から見ればそうであったという事であった。
 ある一例を紹介したい。私はある日ある時、知人より頼まれ借金の保証人になった事があった。私は保証人になる時点で、この友とはこれでおしまいだろうと決心して、この金は捨てようと思って印鑑を付いた。皆さん保証人を頼む時皆同じ事言う「迷惑をかけないから」と。しかし、私に言わせれば「迷惑をかけるから」保証人なのであると思っている。「迷惑をかけないから」と思っているのであれば、わざわざ家族や、親しい友人知人に頼まないだろう。と言う事は「迷惑をかけるかも知れないから」頼むのであり、もう半分かかっているから頼むのである。(笑い事ではないが大笑い) その後やはりその知人半年も経たない内に逃げていなくなってしまった。その後はもう当然に司法の範囲内に身を置かざるを得なくなる。案の定直ぐに知人の代理人と称する弁護士から封書で通知書が来た。こう言う時大概は封書かFAXで連絡をと書いてある。電話はご法度だ。と言うよりも言った言わないになるからである。今みたいに電話に録音機能付いていない時代だからその通りである。そして、必ずや債務の確定をしたいから、債権者に自主申告させるのである。私は解かっている事だからと、わざと黙って無視した。やはり何日かの後に、「連絡をもらえなかったからこちらで調査したがこの金額で間違いないか」との連絡だった。私もズルイ、もし少なかったら違うと言うし、多かったら黙っていようと考えたが、相手の弁護士さん、同じ事考えていたらしいが、債務が決まらないと前に進めないから、大口の私のところを優先したらしい。それから1ヶ月くらい何事も無く過ぎて忘れかけた頃、その弁護士さんから「当事者が約束の金払えないのでこの件から辞退」の連絡が封書で届いた。私はカーっと来てしまった。早速電話で直接言った「あなたは職として私に債権者である事を確認し、その時点で私の権利を束縛して動けないようにした。そうするとあなたが職として私に通告した日より、今日この時間までの債権者として私を束縛した私の逸失利益をどうしてくれますか。その分をあなたに保障してもらいます」と電話で直接通告をしたら、面白い事にその泡の食った様電話口で良く解かった。もっともそんな事できるわけが無いと言うより、解かってて頭に来たから言ったまでであったが、相手の弁護士さん私の剣幕に驚いて自分を見失ってしまった。まあそれだけしか無い弁護士さんだったのだと思った。どう言う訳か、私と対立する弁護士さんは大抵こんな先生方である。
 それはさておき、私はいろんな状況から考えるに、六法全書を小脇に抱えなきゃ仕事出来ない弁護士さんは信用しない事にしてる。特に若いなりたての弁護士さんは一様に同じである。私は弁護士と言う職業は、確かに法律に従う職業ではある。が、しかし私は、法律は「世の常識」と理解してる人間だから、量刑や罰則の確認で六法全書を開くなら解かるが、それ以外は頭に書いている筈だからと思っている人間である。ただそう言うこちらも大変である。私はこの通りの負けず嫌いの性格だから、仕事柄民法だけは遅れないように勉強してるつもりだ。ある程度弁護士先生ともやり合わなくてはいけないからである。
 話を記事に戻せば、私は弁護士は難解な法律の試験もそうだが、それに加えて人間としての常識の問題も必要だと思う。私より学問の優れている人間に失礼に当たるやも知れないが、現在の弁護士先生方余りにも人間としての常識が無さ過ぎるからである。