毎年恒例の叙勲者、先日発表された。どうしてこうも代わり映えしない事何年も続けているのだろうか。これは叙勲と言いながら、もう制度化してる悪い慣習である。私は功績のあった人にケチをつけるつもりは無いが、もう少し本当の意味の叙勲の制度を考えたらと言いたい。これほどのムダは無いと思うからである。そもそもその功績の程度に限りと定員は無い筈であるが、どういう訳か毎年叙勲者数は同じである。これなど予算の関係上と言うお役人のいつもの口上である。それに詳しい役人に聞くと、他薦団体があり、今年は何人くらい推薦してくれとそれらの団体に年度始めに、言っておくのだそうである。と言う事は叙勲制度とは名ばかりで、有名無実化してると言う事にもなるのである。
私は、私の傍らでも叙勲される人結構いるが、「何であの人が叙勲?」と言う方もおられるところを見ると、役人のさじ加減でどうにでもなると言う事にもなる。誰かが言っていた。名誉と金が満たされれば後は人間何を考えるかと言えば、やはり最後は叙勲だそうな。だから常々役人とは絶対喧嘩せず、常に覚え目出度く振舞ってるそうな。涙ぐましい努力である。それだけの価値が叙勲にはあるそうである。これ等私は税金の搾取(共産党的言い方なれど私は共産党崇拝者では無い)そのものではと思っている。こんなムダ無い。
思うに、研究者や大学の先生方、それに政治家、そして司法や検察、そして地方を見れば、消防功労である。本当の叙勲者は本当に一握りである。これひとつひとつどれをとっても、有給者であり、ボランティアの方々殆ど居ないと言って良い。私はこんな理不尽な事無いと思ってる。だって給料貰ってするのは当たり前なのでは?。私は本当の叙勲者と言うものは、誰が見てもあの人だったらと納得する人なのではあるまいか。今の叙勲者は、役人へのおべっかと、役人・公務員・それに特別職と役人本人への最後のプレゼントそのものであり、この制度白紙から考えるべきと提言したい。でないとこの叙勲、余りにも安過ぎはしないか。