日本国宰相のツルの一声で決まる今回の元防衛庁統合幕僚会議議長の叙勲受章 こんな事今でも許されるのか

 安倍晋三首相は15日の参院予算委員会で、平成26年春の叙勲受章で元防衛庁統合幕僚会議議長の竹河内捷次氏が議長経験者として初めて瑞宝大綬章を受章したのは、首相自身の指示だったことを明かした。首相は「高い士気と誇りを持って任務を遂行できるようにしなければならない。今後も自衛隊員に対し、任務にふさわしい名誉や処遇が与えられるよう不断に検討する」と述べた。

 これ「元統幕議長への瑞宝大綬章は首相指示」と題した産経新聞7月15日20:04の報道記事である。

 こんな事が当たり前に通っているのが褒章規定と言うものである。私はかねてよりこのいい加減な役人のサジ加減でどうにでもなる褒章制度、こんなムダ無いと即廃止と口を酸っぱくして言い続けて来た。
 民主主義においての一国の宰相の一言でどうにでもなる勲章だったら何の価値も無い。即刻廃止するべきと思う。それこそ金のムダである。
 何故日本人は不満があっても外に出さない民族なのか。
 先日以来の「集団的自衛権の行使」と言う有史以来の戦争放棄憲法の解釈変更と言う暴挙を、我が日本人は黙認したに等しい。このように政策の大変換に際し、何の不満も行動に表さない日本人、これも中産化した遺物なのか、それとも何もしたくない無気力性の表れなのか解らないが、これからの日本の進路に重大な影を落とす気がして私はならないのである。特に今の40~50代の人間たちである。現在の政治を司どる中枢の人たちである。私たち団塊の第二世代とも違う、何て言うか、朝鮮民族特有の縦割り社会のメリット、つまり年上を敬う精神が極端に薄いそれらの世代、どうも私には今の世相がそれが原因と考えるその気持ちがどうしても拭ぐい去る事が出来ない現実、それを私は今もって危惧しているのである。是非それが杞憂であってほしいと願っている毎日である。