今日は判決の日、小沢一郎は有罪では無く有罪とされてしまうだろう

 今日は小沢裁判の判決の日である。
 
 私は裁判史上類稀な検察審査会の強制起訴と言う判決を迎えて、この判決が日本の裁判の今後の行方を占う大事な判決であろうと思っている。何故ならこの犯罪の確信部分の証拠の大半が、却下されてしまい強制起訴となった重要な証拠も失われて、起訴の根拠は殆んど無くなったに等しく、何の判決かと言う事にもなっている。
 
 検察役の指定弁護士が言っている土地購入費の4億円の期ずれの問題と、銀行借り入れの利子負担の問題についても、我々が商売上決して不自然な取引でもないのに、法上のルールに当てはめようとする、恣意的思惑であるとしか思えないのである。
 私は以前にもブログで指摘したが、こう言う取引にはそれなりのその地域の慣習や、生活上の慣習等色々かみ合わさっての事でもある。それを悪くこじつけようとする思惑も随所に見られる。
 我々不動産屋の不動産の取引は、法にのっとったようにだけはいかないのが往々にしてある。契約書を書いたから必ずやその通りの期日に、譲渡しなければならないとはならない時もあるし、その前にけりを付けるときもある。また売買したから必ずや名義の書き換え変更もしなければならないと言う事も無いのである。それは買ったものの自由である。ましてや検察が言ってるように、懐に現金があれば借りるのが不自然だと言う事も無い。我々は、一般的に、例え現金があっても借りる事が多いのである。何故かについては税理士なりの専門家に聞けば良く解かるのであり、これも買う者の自由である。不動産取引と言うのは、このように一般の方々が往々にして不自然と思うような事は、我々不動産業界に於いてはそれこそが自然なのである。
 こう言う事から考えるに、今回の小沢裁判は検察と言う官僚の思惑が、たまたま反小沢連合の政治家連中と一致した結果の小沢潰しと言えるのである。
 この結果検察のメンツにかけても小沢を無罪には出来ない筈でもあり、決して復権を許してはならない筈なのである。だからこそどのような事をしてでも、小沢を有罪にしなければならないのである。今日はどんな支離滅裂な事を言っても(今までが支離滅裂だったから)どんな理由を付けてでも小沢を有罪にしなければならないのである。だから私は、絶対無罪は無いと思っている。必ずや有罪とされるだろうと確信を持って言える。