栃木県の小1女児殺害事件での判決、重大事件の国民参加による判決であり画期的であり評価したい

 取り調べの可視化による録音・録画の存在と裁判員の日常感覚と常識が導いた判断といえる。
 栃木県今市市(現日光市)で平成17年に起きた小1女児殺害事件で、殺人罪に問われた被告に、宇都宮地裁裁判員裁判は、検察側の求刑通り無期懲役の有罪判決を言い渡した。
 被告は捜査段階で殺害を自白したが、公判では無罪を主張していた。事件から殺人容疑での逮捕まで9年の歳月を要し、凶器が発見されないなど物的証拠に乏しく、裁判員らは極めて難しい評議を強いられた。
 検察側は、犯行時の自動車ナンバー読み取り装置(Nシステム)の記録や、遺体に付着した猫の毛の鑑定結果などの物的証拠を積み上げたが、これらは判決でも「客観的事実のみから被告人の犯人性を認定することはできない」との評価にとどまった。
 法廷では、検察、弁護側双方が同意した計7時間を超える録音・録画が再生された。
 被告が殺害を自白し、犯行を再現する場面もあった。検事が声を荒らげるシーンもあり、弁護側は「自由意思に反した自白である」と主張していた。
 裁判員らは供述内容の真実性、信用性を読み取るべく、長時間にわたる録画の生々しいやりとりを見続けた。そして詳細に検討し、「自白内容は犯人でないと語れない具体性と迫真性があり、十分信用できる」と結論づけた。
 取り調べの可視化については当初、検察、警察の抵抗が強かったが、さまざまな試行により、供述の信用性の補強や過度の調書依存からの脱却に有効であるとするメリットも指摘されていた。
 また裁判員制度は、国民の司法参加により、その日常感覚や常識を判決に反映させることなどを目的に導入されたものだ。
 疑わしきは被告人の利益とする無罪推定の原則は職業裁判官と同様に厳守すべきだが、一方でこの説明を受けた上でなお、公判や評議を通じて有罪と信じるに足ると判断すれば、社会正義の実現に寄与しなくてはならない。
 公判は判決まで16回を数え、予定された判決日も延期された。それだけ裁判員らが事件と真摯(しんし)に向き合い、苦しみ抜いて結論を導き出したということだろう。新証拠の発見などの事情を除き、裁判員の判断は尊重すべきである。
 
 
これ「女児殺害に無期 裁判員の判断尊重したい」と題した産経ニュース4月9日502の報道記事である。
 
 
 本当にこれは重大事件の国民参加による判決であり画期的であり評価したい。「疑わしきは罰せず」で行けば冤罪を防ぐ意味でもこれ等は通常裁判では無罪だったと思われる。がしかしである。物理的証拠でのみ有罪ならしめる現行法は至極当たり前の事ではあるが、検察側の過度の思い込みや功名心がそれらを妨げ冤罪を生んできた事も事実である。被疑者の捜査や取り調べの可視化は、時の真を裁判員が生で見る必要性が生んだ判決である。