栃木・那須朝日岳で4人遭難し死亡したとの報に何故そこまでするのか?

私的には登山愛好家の気持ちが理解できない。

私にはどうしてもあの「たかが山」に登る気持ちが解らないのである。

昔から言う「他人(ひと)の好きずき笑うのバカだ!」と言う事も良く解って居るつもりだが、どうしても山登りだけは解らないのである。

その辺の小山にピクニック気分で行くのは良く解り、たまには私的にも行く。だが時には命の危険も伴う登山だけはどうしても理解できないのである。

基本的に山登り愛好家や登山家は嫌いである。何故なら彼ら彼女らはどちらかと言えば自然に溶け合い、現実の世界と乖離してるからであり、人間社会そのものだからである。詳しく言えば男女の別も、お構いなく共に人間関係を融和してるからである。何か難しく説明してるようだが、平たく言えば普段の生活上での男女の生活に一向に気にしない生活だからである。気さくと言った方が良いのか?

私は性格上、水無しでは生活できない。笑われるかも知れないが、常に手を洗うクセがある。チョッとでも手がベタベタしたり汚れているの嫌いで、暇あれば手を水で洗うクセがある。そして山特有の何も無い自然の中では、手足や顔を洗う水等、当然に常に無い。それに、水を飲んだり汗を拭いたり等、何もない山では、ペットボトルの回し飲みや汗を拭うタオル等時には回し拭きもある事だと思う。私はそれらが大嫌いなのである。しかもトイレも洗浄トイレでなければ出来ない性分でもある。笑われるかも知れないが、そう言う事には潔癖症に近いと言える。そう言う方々には理解してもらえるが、そう言う事を気にしない方々には一笑に付されるのがオチであろうと思う。

俗物的感覚と言われるかも知れないが、人間何で身なりをすると思う? 何で女性は化粧をすると思う? それは相手を異性と考えるからである。ところが登山愛好家達はどちらかと言えば、そんな事余り考えない方々が多いと私的には思っている。そうだよナ、山登る時にわざわざ化粧なんかしないし、気にもしない方々が殆どだ。それが私には出来ないのである。

上記色々書いたが、要するにチョッとした事を気にする人間はそんなに山には登らないと思う。ましてや命の危険にさらされる山に苦労して登る意味が解らない人間にはどうしても理解できない。だからこそ気候が急変し、死と隣り合わせになる山に何故上るのか私には一生かかっても理解できないであろう。