昨日の15日にMAG2newsで見た「だからトヨタは世界で負ける」を読んでなるほどと思った

 私は1947(昭和22)年生まれの団塊の世代1号の人間である。しかも大学卒業して社会に出たのも今の経済復興して来た我が日本と共に育ってきた1人でもある。だから今の日本の経緯は良く解かっているつもりである。

 私は大学浪人時代に単身東京に出て研数学館と言う予備校に通いながら、都下小金井市のガソリンスタンドで働いていた。その時若かったから当然に車の免許は持っていなかったが、住み込みだったので不自由はしなかった。当時車は普通車はトヨタトヨペットクラウンで小型車は名前を募集して付けたカローラとパブリカと言う3種しかなかったし、同じく日産はセドリックとブルーバード及び同じく募集したサニーと言う車でトヨタ、日産も同じような形態だったが目を引いたのは、後に日産と合併するプリンス自動車のグロリアとスカイラインと言う車種があったが、特に興味を引いたのが日野自動車の小型車コンテッサだった、この車は今は無い当時珍しいリヤエンジンでラジエターが後ろだった事である。また三菱はデボネアとコルトと言う車で、特異だったのはホンダの今でいう軽自動車タイプの800ccクラスのスポーツカーホンダS800と言う車もあった。思えば懐かしい車の変遷である。

 当時から車キチ(車気狂い)はトヨタではなくどちらかと言えばキチは日産車のほうだった。私もご多分に漏れず今でもそのあおりを受け今もって日産社のファンである。我々の所の雪国でのあの絶妙な4輪駆動システムの日産アテーサは代え難いシステムである。

 以後日産車を乗り継ぎ、思った事がある。今もって日産車に拘るのは、トヨタ車の安物臭さである。自動車車内を見れば良く解かるが、昔からトヨタは価格を安くするためパーツを共有してる。それは見えないところにすれば良いのだが、車内のあちこちに小型車から普通車や高級車まで一緒の部品が昔は結構使われていたのである。ある意味それは上手い車造りとして称賛されたが、上記テーマにもあるようにトヨタの上層部にはどうも高級車造りに似合わないダサさが残ってるように感じてならないのである。言ってはならないかも知れないが、世界の一流企業の本社が、日本有数の本社がある銀座からでなく地方愛知の片田舎から出て来た垢抜けしない企業に重なって見える。今や1兆円の利益企業なのである。も少し身なりにも気を配る必要有やと感じている。

 

参考にした記事 https://www.mag2.com/p/news/566949/3