自家用車車検のためマツダのディーラーに行ったが後悔した

 私は7年前脳出血で倒れてしまったので車に乗れなくなってしまった。それまでは若いときから車バカと言うくらい車が好きで、狂っていたと言っても良かった。
 大学を卒業しても就職出来ず、やむなく親父に頭を下げ、親父の会社に入れてもらったのだが、何せ苦労知らず、車に狂い、じゃじゃ踏んで、親父に車を買ってもらった。と言うより買わせたと言うのが真実である。私は大学を一度失敗し、浪人中にガソリンスタンドでアルバイトしながら予備校に通っていた。場所は東京都下の小金井市だった。時に青梅街道が込み第二青梅街道つまり新青梅街道にオープンしたばかりのガソリンスタンドだった。そこに寝泊りして、水道橋の予備校、研数学館に通っていた。時にホンダでスポーツS800なる小型のスポーツカーを発売したときだった。私は先輩に教えてもらいながら、その車のエンジンを分解して原理を勉強した。その時以来である車に興味を持ち、車狂いになったのは。それからと言うもの、技術の日産に惹かれて、以来殆ど乗った車は日産車のみである。現在までトヨタ車には一台も乗っていない。昭和42年のブルーバードU、昭和47年のケンとメリーのスカイラインが2回(2台)、その間にフェアレディZ2/2、その後レパードそしてシーマ現象を起こしたシーマ4WDと殆どが日産車だった。しかし、病気で倒れてからは車に乗れなくなってしまった。それを良い事に我息子は静かに私の車を持って行ってしまった。以来妻の車に同乗が常となったら、妻は大きい車は取り回しが効かないからと、中古のマツダデミオ4WDを買った。初めて他車、それも一番嫌いなマツダ車だった。それの車検が迫ってきたので、ディーラーと思い、そばのマツダの営業所に行った。実はその前、一時亡くなった娘の車(米フォード車)に乗ってた(これはトヨタのディーラー)ので日産とトヨタにはチョコチョコ行ってたのでディーラーの雰囲気は知ってたつもりだったが、驚いてしまった。マツダのデーラーである。営業所に行ったら職員が2~3人居て見てたが、誰1人客(つまり私たち)の車が入って来ても駆け寄って来て「いらっしゃいませ」の言葉も無い。私たちはおもむろに入り口のドアを開け入っていったら、開口1番うちで(営業所で)買われた車ですかと聞かれたにはマイッタ。私たちは確かに初めて入ったのだが、そんな挨拶はないだろうとムッと来てしまった。来店した理由を話したが名を名乗るわけでなく、早速に商談に入ってしまった。応対したその職員、見るからに年配で、頭薄く、しかも座ってた机が離れて1つしかなかったので、私はてっきり所長さんクラスと思い込んでしまった。事務室を見渡せば部下みたいな職員が2~3人いたが誰も私たちを見ようともせず、女子事務員も居なかったみたいだった。なにせ寂れたような雰囲気、ディーラーにしては余りにも活気が無い。正直来て失敗したと思った。そしたら向こう側に女子事務員の姿を見た。距離にして10mも離れてなかったが、知らん振りして着席した。こちらを見ようともせず、もちろん「いらっしゃいませ」の言葉もあろう筈もなく、かれこれ30~40分位いたが、お茶ももちろんコーヒーなんかも出る訳がなかった。車検の見積もりが終わり、しょうがなく決め、代車も決め、一旦帰ることにしたが、会釈しただけで、私たちの車が前面の道路に出ない前に引っ込んでしまっていた。私たち夫婦はお互い顔を見合わせ、落胆した。こんな客商売の会社あったんだと、変に納得した。とにかく全てなっていない、これで良く客商売してるものだな、どんな社員教育してるのか、トヨタ、日産、ホンダ(行った事は無いが)及び三菱の3強+1の違いをまざまざと見せ付けられた思いで帰ってきた。後味の悪さだけが残った1日だった。
余談だが、マツダと言う売れない車のメーカーの原因の一端を見た思いである。