几帳面だった大工さんの思い出

 私は昭和42年4月~昭和46年3月まで東京の大学で建築学を学び、土木工事業を営んでいた親父の会社に入った。建築が専門だったので数年後建築工事業にも進出した。設計が主だったので、建築の工事は工務店に外注した。その時にH工務店と言う建築の業者に外注した。その時に来たのが上記の大工さんだった。仮にA・Sさんとしておこう。私より10歳位年下だったし、最初の印象は随分とひ弱なようで、神経質そうな感じだったのを覚えてる。大学卒業したての私は当然に現場は見るモノ聞くモノ全てが初めてだったので、朝昼晩現場の状況は常に見学して見てた。その時にである。この大工さん若いながらもかなり几帳面だった事である。独身で母親と二人暮らしだったと聞いていたが、現場が終わった夕方見に行くと、彼の大工道具と現場の後始末には驚かされた。何と毎日現場にはゴミが落ちて無く大工道具も、綺麗に整理整頓されて寸分の狂いなく、まっすぐに、それこそ曲がっても居なく道具同士が平行に並んで仕舞われていたのである。そこでいつの日か現場の終わり時を見払って私は見に行ったのである。そうすると現場の終わる30分位前から2種類の箒で現場の散らかったカンナくず等掃き清め、道具は濡れたタオルで綺麗に拭き清め道具箱にしまっていたのである。ある日の休日に、私はどうしても聞きたい事があったので、彼の自宅に聞きに行った事がある。その時はもう既に母親は亡くなって居て独り暮らしだった。が一歩玄関に入って驚いた。とても若き男の独り暮らしの光景では無かったのである。

 玄関から反射して見える廊下は新築時にウレタン塗装してピカピカにするその光景だったのである。若い男性の一人暮らしの家とは到底思えなかった。以来私はこの若き男の大工さんに仕事人として惚れてしまった。

 だがある日に随分と騒々しい日があった。何事だろうと聞いたら、住居がそんなに離れて無かったその大工さんのA・Sさんが酒に酔って寝てしまい何の病気か解らないが亡くなったと言う。ある年の冬の事だった。酒に酔い寝てしまったのだろうか。詳細は良く解らないが亡くなってしまった事は事実である。私は彼をかっていたので残念でならなかった。でも今良く考えて見れば、彼は例え生きていたとしてもあの几帳面過ぎる気性である、下手な伴侶等とても満足できなかっただろうし、女性の側も、亭主がとてつもない几帳面な男だったらとても生活出来るものではなかった事だろうと思える。

 でも男は多少だらしなくても、女のだらしないのは願い下げであるし、人間一生の不作である。