日本の農業政策の遅れは1970年代の高度成長期に公共工事偏重主義に傾斜した自民党政治の失政である

 私の会社は建設会社である。今でこそ公共の工事は目の敵にされているが、1970年代当時の高度成長期には本当に花形産業と言って良かった。今はネットでの閲覧応札入札が殆どであるが、当時は役所に出向いての指名競争入札が殆どであった。だから見積して合わなくても応札しなければ次回から指名されなくなるのが常だった。だが今は見積して合わない場合は応札しなければ良いから楽なようであるが、実はそうではなく、工事価格は決まっていても決めるのは人間だからである。機械と違って人間には感情が存在する。所謂好き嫌いが存在するからである。表向きと裏もあるからである。

 当時の国の施策は公共事業を増やし、我々建設業者に請け負わせ、兼業農家を我々の工事の現場作業員として雇用させ手間賃を取らせて現金収入させて議員自らの選挙票を増やす事にあった。それが結果的に兼業農家を農業への志向を衰えさせた原因であり、農業衰退の因ともなったのである。これらは特に北日本の農業県に多い。こうした事が長年続き、農業バイオテクノロジーへの遅れにもつながったとみるべきである。

 当時は笑い話でもあった。だって余りにも工事を受注し過ぎ、現場で管理する現場代理人(工事の権限を代理し、複数の工事を兼務出来ない)が不足し、受注できなくとも応札して受注しなければならなかったから、結果的に落札したくなくて入札を辞退するために入札を欠席する業者が増え、時には誰も入札業者が居なくて入札が中止された事が度々あった事である。本当に今では夢のような話であった。