河井克行買収事件を“他山の石”と言った自民二階幹事長は国会議員の資格有や!

河井克行議員辞職を表明

 

 これだけの証拠、あれだけの大量の証言者が出れば、さしもの元法務大臣も自分に突きつけられた罪状を認めざるを得なかったのだろう。被告人質問で罪を認め議員辞職を表明した河井克行氏のことである。認めるべきは認め、有権者に対して説明責任を果たそうとする河井氏の心境は、”天にせくぐまり地にぬき足する”ほど晴れやかなものなのかもしれない。

 

 公職選挙法は、3月16日以降に議員辞職等が発生した場合その年の10月第四日曜日に補欠選挙の投開票を行うと定めている。また、同法は、任期満了間際の補欠選挙は本選挙に統合すると定めてもいる。この二つの規定から、3月23日になって議員辞職を表明した河井克行氏の行為を、「日程を工夫し補選を避けることで自民党に忠義だてした」と訝しむこともできなくもないが、まさかそんなことはあるまい。なにせ河井氏には『前法務副大臣が明かす司法の崩壊』なる自著まである。そんな人物が、法を弄ぶはずがないではないか。

 

 いずれにせよこれで、2019年の参院選の際、自民党本部から拠出され広島県内でばら撒かれたあの多額の現金は、買収に用いられたのだと河井氏本人が認めたことになる。自民党の党務の責任者である二階俊博幹事長が本件に関し”他山の石”とのコメントを出すのは当然だろう。自民党は仲間や身内を大切にする結束の高さがなにより自慢の”兄弟牆に鬩ぐ(けいてきかきにせめぐ)”誇り高き保守政党なのだ。”琴瑟あい和し(きんしつあいわし)”ながら仲間割れを繰り返すバカな野党とは違うのである。二階幹事長は、潔く罪を認めた河井克行氏の高潔さを「我が自民党らしい実に立派な姿であり今後も見習っていきたい」と、”他山の石”という言葉を使って表現したのである……。

 

◆自分ごとなのに「他山の石」?

 

 と、ここまで『詩経』由来の故事成語を全て逆の意味で使ってみたが、これが極めて難しい。故事成語が頭の中で結ぶイメージと、その故事成語を用いて表現しようとする事象そのもののイメージが正反対になるからだ。琴(ギター)と瑟(ベース)がグルーブ感を出している様をイメージしながら「仲間割れ」という言葉を使わなければならないわけだから、黒いものを見ながら「白である」と言い張る難しさに似ている。

 

 しかしそれを二階幹事長は見事にやってのけた。自民党にとって完全なる「自分ごと」である河井克行氏の買収事件を、間髪を容れず”他山の石”と表現し、「他人ごと」であると表現してみせたのである。

 

◆二階幹事長にとっては「他山の石」だった!?

 

 動画で見る限り、”他山の石”と発言した際の二階幹事長は、自信に満ち溢れている。あれほどの自信は、黒いものを「白である」と言い張る欺瞞からは決っして生まれるものではない。心底あの事件を「他人ごと」と思っていなければ滲み出てこないはずだ。

 

 おそらく二階幹事長にとって、河井克行買収事件は、実際に、”他山の石”なのだろう。

 

「そもそも、河井克行の妻である河井案里を、すでに自民党の現職参議院議員がいる参議院広島選挙区に立候補させ地元の市議や県議を分裂状態に追い込んだのは、安倍晋三菅義偉のゴリ押しがあったからである」という意味でも、「買収原資を拠出した最終決裁権限者は、当時の自民党総裁である安倍晋三だ。自分ではない」という意味でも、二階幹事長にとって”他山の石”なのだ。そう解釈すれば、あえてあそこで”他山の石”という故事成語を使った二階幹事長の凄みが透けて見える。

 

 「責任は安倍晋三菅義偉にある。俺はあんなバカなことはしない。自民党の仕切りを俺に完全に任せろ。俺が仕切る新生・自民党安倍時代自民党とは違うものだ」と言っているのだから。

 

◆「よく終わりあるは鮮なし」

 

 しかし二階幹事長は大事なことを忘れている。確かに河井克行買収事件は、二階幹事長にとって、自民党内の権力争いにおける”他山の石”なのではあろう。だが、有権者にとってはそうではない。自民党内のヘゲモニー争いなど関係ない有権者にとって河井克行買収事件とは、時の総理のおぼえめでたき候補者が選挙にあたって売買収に手を染めたという事件であり、しかも法の番人たる法務大臣公職選挙法を違反を犯していたという事件であり、日本の選挙制度、いや政治風土そのものを根底から毀損する事件なのだ。その風土の中で生きる有権者としては、”他山の石”などと鷹揚に構えている余裕はないのだ。

 

 もし二階幹事長が、日本の選挙制度、日本の代議制民主主義を根底から汚損した今回の事件全体を”他山の石”とするのならば、いかに党運営から安倍氏の影響を排除したところで、二階幹事長も自民党政権そのものも”よく終わりあるは鮮なし“の末路をたどるに違いあるまい。

 

<文/菅野完>

 

 

これ『なぜ二階幹事長は、河井克行氏の議員辞職を「他山の石」と言ったのか?<なんでこんなにアホなのかReturns>』と題した ハーバー・ビジネス・オンライン 2021/03/26 08:33の記事である。

 

 

この二階俊博と言う男、一時小沢一郎の側近として新生党新進党自由党と小沢と行動を共にしたが主張の違いにより保守、保守新党を経て最終的に自由民主党に戻った出戻りなれど、ナンバー2の幹事長を射止めるとは前代未聞の快挙と言うより、その保守の遊泳術に長けた政局の申し子と言えるかも知れない。その経緯から国民の望む国会議員像とは言え難く、何のために存在するのか一向に理解できない議員ではある。こう言う人間が政党の重鎮として権勢を揮うのは政治の低下を招き、ムダ以外の何物でもない。こう言う輩を糾弾できない野党もだらしなく政治の云々を申す資格もないと言える。