浜岡原発中止に見る、許認可権者の横暴?

 先日菅首相中部電力に対して浜岡原発中止を要請し、中部電力はそれを受け苦渋の選択ながら受け入れ中止を決めた。

 一民間企業に対して要請する、首相も首相だがそれを受け入れた中部電力も電力である。

 浜岡原発静岡県御前崎市にある中部電力唯一の原子力発電所である。これを中止するリスクは如何ほどか首相は解って居ての事だろうか。いづれにしても現在一民間企業の中部電力はそれを受け入れたのだから、当事者同士が合意したのだから我々外野は今何を言っても始まらないのは解っているつもりだが、私はどうも納得がいかないのである。

 思えばいつもそうである。事何か起これば許認可権を振りかざし、法的に指示を出さないで、許認可を受ける側に譲歩を求める仕方をする悪いクセである。

 今回も決して許認可権を持っている国が法に基づいた指示あるいは命令を出したかと言えば、出せる出せないの問題ではなく、許認可権を行使出来る一種の脅しととれる、要請と言うお願いをした事である。どこの世界に許認可権者に要請されて断れる人間がいると思う?。それが無言の圧力となり民間企業の中部電力は、受け入れ中止を決めたのである。だから私は苦渋の選択ながらと解釈したのである。中止を要請された中部電力の会社とその役員達の菅首相に対する失望と、罵声が聞こえて来るようだ。「あのバカ菅のバカが、自分の事しか頭に無い(後日のサミットでの日本の他国へのお土産と自分の内閣の浮揚のため)、こんな大事な事急に」と言うようなセリフが聞こえて来るようだ。

 被許認可権者はいつも弱者である。許認可権を盾にいつも無理難題を押し付けられる。断れば今後に悪辣ないじめが待っている。許認可権者の特権である。

 話を戻せば中部電力は、何故条件を付けなかったのだろうか。私が同じ立場だったら、今までのお返しに、電気料金の値上げを条件にする。

 思うに、この中部電力と言う会社もご他聞に漏れず、天下りが暗躍したのではと私は即座に感じた。あくまでもこれは私の独断であるので確証も無いが、今までの役人の質を考えればの事である。役人と言う種族は兎に角上下と横のつながりは鉄壁に近い種類の民族であるからである。
 善し悪し別に無条件の中止を決めた中部電力は今回の事で国に対し、とてつも無いフリーハンドの特権を得たのである。これは今後の電力行政に対する財産となろう。ある意味公共事業の商売をしている者としては羨ましい限りであると同時に、逆に国は中部電力に対しとてつもないリスクを抱え込んだに等しいのである。とんでも無い事を菅首相はした事に気付いていようか。