大震災、カネを使って国を元気に

 表題のコラムをみてなるほどと思ったので記事にして見た。
 下手な経済理論よりよっぽどマシだと感じた。筆者はニューヨーク大名誉教授の佐藤隆三氏である。氏は専門は理論経済学、中でも経済成長理論だから言うまでも無いが、現在米国在住のため外からの現在の日本を、的確に見ての事であるからして説得力がある。是非読んでもらいたいと思い掲載した。

 

―カネを使って国を元気に―

  3月の大震災以来、日本中がまるで喪に服したような状態が続いている。これが経済活動に反映して、GDPの落ち込みはリーマン・ショック時と比べても、統計を取り始めてから最大となった。このままでは日本経済全体が立ちゆかない所まで追い込まれつつある。
 多くの人命を失い、多数の被災者が学校などで先進国の市民にあるまじき生活を強いられている。確かに、被災者の苦しみを目の前にしてとてもハシャグ気にはなれない。加えて原発事故で放射能が心配だ、と日夜報じられている。東京電力が発表した工程表によれば、今年の末まで事故を起こした原発施設の安定化は望めない、とのことだ。これでは誰でも憂鬱になる。ここで思い起こすのは「9.11」後の米国人の言動だ。米中枢同時テロの首謀者ビンラディン容疑者が米側によって殺害され、米国民はいま仇討ちを果たした気分で国を挙げて喜んでいるが、10年前のあの大惨事の直後は国全体が落ち込んでいた。
 だが、曰本との違いは「ライフ・マスト・ゴーオン(生き残った者は通常の生活を続けなければならない)」の掛け声が起こったことだ。米市民は以前にも増してたくましく働き、カネを使い、義援金を出し、悲しみを分かち合い、「9.11」を克服しようとした。この結果、米国のGDPはほとんど変わることなく上昇を続けた。
 日本人に、米国人のように振る舞え、とは言うまい。だが、いかなる国にも経済の基本原理が働いている。それは「カネを使わない経済は滅びる」の鉄則だ。なぜならば「私の所得は、あなたの支拙から生まれる」からである。これは1930年代の不況克服のためのケインズの有名な処方菱であった。
 当時ケインズは、失業者に所得を与えるために政府は使える道路を壊してつくり直してまでも支出を増やすべき、と説いたりいまの日本の現状は、地震津波で多くのインフラが破壊されている。政府が復興のためにカネを支出するのは当然のことだ。だがそれだけでは足りない。
 一般家庭の消費、企業の投資、そしてその他全ての機関がいまこそカネを使って国の経済活動を活性化させる時である。米国民のように、悲しみと楽しみを共にカネの支出に結びつけるしたたかさは望めないかもしれない。だが、悲しみに打ちのめされて内向き志向でいては経済は下降をたどる一方となる。ケインズの「支出=所得」は、少なくとも短期には日本経済復興のキーワードなのである。
 東日本大震災で日本経済の長期的な再構築の必要性が明らかになった。経済の復興から創造への段階で、「何にカネを使う(支出する)のか」が最重要課題となる。ここで役立つガイドラインは、シュンペーター教授の「創造的破壊」である。大自然の挑戦を受けてこれまでの秩序は破壊された。創造は「想定外」を前提として、革新的イノベーションを駆使することから生まれる。
 これからは、大自然と調和を保ちながら、新生東北、ひいては新生日本を築いていこう。その姿は、過大に原子力を要する「超電力依存社会」なのか。カリフォルニア州の面積しかない日本列島で、東京、東北、北海道電力圏内の東と、中部、関西電力などの西の圏内で電力標準周波数が異なっている。こんな非効率性を今後も引きずって行くのか。
 平安時代の「貞観地震津波(869年)」以来の千年に一度の今回のごとき大災害にも対処できる新しい街づくりをいかに達成するか。ヒトと機能とカネが一極集中している東京は、このままでいいのか等々と新たな目標への課題は尽きない。
 いまは不況と放射能の封じ込めに全力を挙げるときだ。ボランティア精神や義援金に加えて、一般国民ができるのは悲しいから自粛する‐のではなく、悲しくてもカネを使って不況を回避することである。