東電福島原発事故、素人が検証したら、あっ!!

 今回の東日本大震災による、東京電力福島第1原子力発電所の事故には、我々素人には解からない事だらけである。私はいくらかでもこの事故を今後の糧にしたいと考え素人ながら検証して見た。その前に対比の参考になればと福島第1原子力発電所福島第2原子力発電所及び女川原子力発電所の運転開始時期を書き留めて見たのが下記である。
 
福島第1原子力発電所
原子炉 原子炉形式 運転開始 定格電気出力
1号機 沸騰水型軽水炉 1971年(昭和46年)3月26日 46.0万キロワット
2号機 沸騰水型軽水炉 1974年(昭和49年)7月18日 78.4万キロワット
3号機 沸騰水型軽水炉 1976年(昭和51年)3月27日 78.4万キロワット
4号機 沸騰水型軽水炉 1978年(昭和53年)10月12日 78.4万キロワット
5号機 沸騰水型軽水炉 1978年(昭和53年)4月18日 78.4万キロワット
6号機 沸騰水型軽水炉 1979年(昭和54年)10月24日 110万キロワット
7号機(計画中) 改良型沸騰水型軽水炉 2013年10月予定 138万キロワット
8号機(計画中) 改良型沸騰水型軽水炉 2014年10月予定 138万キロワット
 
福島第2原子力発電所
原子炉 原子炉形式 運転開始 定格電気出力
1号機 沸騰水型軽水炉 1982年(昭和57年)4月20日 110万キロワット
2号機 沸騰水型軽水炉 1984年(昭和59年)2月3日 110万キロワット
3号機 沸騰水型軽水炉 1985年(昭和60年)6月21日 110万キロワット
4号機 沸騰水型軽水炉 1987年(昭和62年)8月25日 110万キロワット
 
女川原子力発電所
原子炉 原子炉形式 運転開始 定格電気出力
1号機 沸騰水型軽水炉 1984年(昭和59年)6月1日 52.4万キロワット
2号機 沸騰水型軽水炉 1995年(平成7年)7月28日 82.5万キロワット
3号機 沸騰水型軽水炉 2002年(平成14年)1月30日 82.5万キロワット
 
 今回の地震において被災を受けた東京電力福島第1原子力発電所と距離的にそんなに離れていず、また条件的にもそんなに違わない福島第2原子力発電所女川原子力発電所が無傷だったと言う事を考えれば、私は、マスコミ、国、東京電力の大々的に言う「想定外」と「未曾有」と言う言葉は当てはまらないのではと思った。そこで、良くこの原発の運転開始時期を見ればかなり古い時期に建造され運転されて来たかが解る。

 思うに原子力電力の安全性が当時そんなに問題にならず、軽視され、現在に至っていたからではないかと思う。

 ここで1つどうしても解らない事がある。それは、ここのところの原子力発電所の事故で、原子力発電と言う普段そんなに興味の無かったそのシステムが、連日の報道でかなり身近になった事である。そのため私のような者でも、ある程度理解できるようになった。そこで気になった事を申し述べれば、有事の際の非常用炉心冷却装置(ECCS)が稼働しなかった事であり、何故稼働しなかったのか。報道によれば、緊急用の発電機が津波でやられ稼働しなかったと言う事になっているが、原子炉の内部等仕組みが詳細の図で説明されているのに、何故そのECCSの発電機が何処にあり、どのくらいの高さレベルだったのかの報道は一切無いのである。この位置と高ささえ解れば、当局の緊急時の考え方の意識が解かったものを、本当に残念である。この事を専門家もマスコミも誰も質問した形跡さえ無い。本当に不思議である。私はこれを考える時に、恐らく意識的に隠したのだろうと考える。でないと同じ条件下で福島第2原子力発電所女川原子力発電所のの無傷が説明付かないからである。
 
 結論的に言えば原子力発電と国民を国と東京電力が甘く見たからである。家電製品過剰に電力会社商売のオール電化住宅推進の電力需要が追っつかないために・・・・・・・・・・。