上京時、身障者としての我が身の泣き笑い

先に拙ブログで上京時状況を紹介したが、身障者である我が身の加齢の影響に少しばかり驚いた。
人間誰しもそうだが、いつもの自分とは知らず、加齢とのギャップに少々驚いた。頭では自分の年齢は解っていたつもりだが、身体の衰えがこれほど進んでいたとは自分でも大変な驚きである。物事やその行動が頭ではいつものようにやってると思っていても、身体がそのいつもより数段進み過ぎてるのを気付かずにいたのである。
 以前より何度も報告しているが、10余年前少脳出血で倒れて以来、バランス機能を失い、独歩が出来ず、妻の介助によっての歩きがもうすぐ10年になる。常日頃のストレッチ運動と歩行練習によって、曲りなりに歩けるほどに回復したお蔭で、今回のように上京出来たのであるが、人に言えない恥ずかしさも今回結構した。
 何度も話してるが、独歩が無理で、妻の手引き介助でかろうじて、まっすぐ歩くのだが、それも15,000歩が限度であったが、今回それがいつの間にか12,000歩に減っていた。多分加齢によるものだろう事は解ったが、これほどまでとはと思うとショックでどうにもならなかった。宿のある品川駅と国立西洋美術館がある上野駅との距離での電車の乗り換えや駅のコンコースの移動歩きで、12,000/日は悠に超えていた。5月8日には乗り換えや所用で東京駅のコンコースの手摺り傍の階段で、とても我慢できず座っていたら、アラフォーらしきご婦人に「どうかされましたか? 救急車呼びましょうか」と声かけられた。妻がお手洗いに行ってる間疲れたため、階段で座って待ってた時の事であったが、たまたま両膝に手を組み、それに額をつけていたため、体の具合が悪く突っ伏していたように思われて、声をかけられたのだろう。丁重にお礼と無事を言ったのだが、アラフォーらしきそのご婦人、私が気遣って無理を言ってるもんと中々理解してもらえなかったのが今思えば恥ずかしい。健常者には解らないだろうが、私みたいな歩きが不得手な身障者には歩き10,000/日は鬼門である。それを超えると、脛が張ってふくらはぎが硬くなり、足がつったようになって、歩けなくなるのは当然だが、あの足のつりだけは痛いを通り越して、苦しく足の置き場がなくなるようになる。それを知った者にしか解らない苦しさである。その日の夜足のつりと痛みで寝れなかったが、知らずに疲れが寝かしてくれた。
常日頃のリハビリの過信が打ちの目された今回の上京であった。良い経験をしたと今思っている。