「盛り土」問題が浮上し、築地市場から豊洲新市場への移転が大揺れだ。そんな折、新市場「白紙撤回」の“秘策”が浮上している。そのウラには、小池百合子・東京都知事の応援団、河村たかし名古屋市長の存在がある。その水面下の動きに気鋭のジャーナリストが迫る。
河村氏は、選挙期間中に突然応援に入った。1992年に誕生した細川護熙氏率いる日本新党で、小池氏が参議院議員の1期生、河村氏は衆議院議員の1期生だが、わざわざ応援に駆け付けたのは、“同窓生のよしみ”だからではない。
河村氏は国会議員から名古屋市長に転身し、一貫して「行政の無駄を省く」「税金の使い道は納税者が決める」といった政治改革を唱えてきた。小池氏の「行革」や「都民ファースト」と概念は同じだ。
「政治が家業になっている。首長も議員も家業だから、手放したくない。そこに利権も生まれる。そんな政治を地方から変えて、やがては国政も変えたい。まずは給与削減。自分も議員も職員も削減して一般の人並みの収入にして利権や特権を外し、政治はボランティアという文化に変えるところから始めたい」
かつて河村氏は市長就任直後、私にこう話した。その言葉通り自らの給与を下げ、議員報酬も下げたが、その後、議会の抵抗に遭っている。給与削減は政治文化を変える「一丁目一番地」なのだ。小池氏の側近が語る。
「こうした考えで、河村さんは“給与削減を必ずやれ”と小池さんに言った。知事給与削減は議会に諮(はか)らずともやれるが、わざわざ条例改正案にして都議会に提出するのは、給与削減問題が政治改革に通じるからです」
80年代、名古屋市で「藤前干潟」を埋め立ててゴミ処分場にするという計画が持ち上がった。この地は渡り鳥の飛来地として知られていたが、市は独自調査の末、「人工」の干潟造成を条件に埋め立てを実行しようとした。ところが、市民や当時衆議院議員だった河村氏らは、真っ向から反対。そのために中央省庁を動かした。環境庁(現・環境省)に水面下で強力に働きかけ、同庁が環境保護の視点からさまざまな調査を駆使したうえで、名古屋市に計画を断念させる手法を取った。これが奏功し、市は白紙撤回した。
今回、豊洲新市場の汚染土壌対策として「盛り土」が一部行われていなかったことが判明。当時の担当者の事情聴取や責任問題、新たな土壌汚染調査、場合によっては工事のやり直しもあり得る。「豊洲問題で都民の信頼回復は難しい。といって、どう処理すればいいか、パンドラの箱を開けた感じ」(小池氏支持の都議)というが、ここへきて、「藤前干潟」を成功例として豊洲問題に取り組むという秘策が、小池氏周辺で浮上しているのだ。
「築地市場(中央区)の移転は都の問題だが、藤前干潟のように国を巻き込むシナリオがある。都政を超えて、環境の視点から移転問題に国が参画すれば根本的に次元が変わる。小池さんは東京を世界に誇る環境都市にするのがライフワーク。その観点から築地市場は改修し、中央区・江東区の湾岸エリアをスマートシティーとして再生する計画が具体化すれば、豊洲新市場の白紙撤回もあり得ます」(同)
河村市長自身、自ら覆した「藤前干潟」問題について「それは大変だった。ゼネコンや議員が絡んだ利権がヤマほどあった」としながらも、「それを盟友の小島さんや環境庁を巻き込んで壊した。(豊洲新市場も)白紙にできる」と周辺に語っている。
「小島さんのほかに、都政改革本部の顧問には上山信一・慶應大教授がいる。上山氏は大阪維新の会のブレーンだった。政治改革では志が一緒です」(前出の河村氏側近)
私は9月12日、情報・報道番組「ゴゴスマ」(CBC、TBSなど)で河村氏に「新しい政治勢力」について直撃すると、ズバリこう答えた。
「(連携は既定路線というのは)その通り。今後は勉強会などをやっていきたい。まずは地方から変えていくが、いずれ国も変えなきゃならない。国政(政党)ということになる」
小池氏は「政治塾」を主宰する方針を明言した。背景には「来年の都議選で小池新党から出たいという人たちの受け皿が必要」(前出の小池氏側近)という事情もある。大阪維新にしても、河村氏の減税日本にしても「政治塾」から始まり、それが新党候補の養成基盤