河村名古屋市長 市職員の給与を引き上げの市人事委員会の勧告に従わず拒否の報に大賛辞!

名古屋市河村たかし市長は5日、市職員の給与を引き上げるよう求めている市人事委員会の勧告に従わず、据え置く意向を労働組合幹部らに伝えた。労組側は勧告通りの引き上げを求めている。
 
 同委は昨年9月、市職員一般行政職のボーナスに当たる期末・勤勉手当を課長級以上の管理職で0.25カ月分、係長級以下の職員で0.10カ月分、引き上げるよう勧告し、月給も0.34%の引き上げを求めた。河村市長は昨年末の毎日新聞のインタビューに対し「勧告通りにはいきませんよ。中小企業が苦しんでいるので」などと述べていた。
 
  勧告通りに実施した場合、今年度の行政職の平均年収は5万9000円増の623万円。市全体では約10億円の人件費増となる。
 
  同市の職員給与を巡っては、河村市長は昨年度も人事委の引き上げ勧告に難色を示し、労使交渉の結果、係長級以下の職員に限って勧告通り給与を引き上げ、課長級以上は据え置いた。【三上剛輝】
 
これ「<名古屋市>河村市長、市職員給与引き上げの人勧を拒否」と題した毎日新聞 15()2228分の配信記事である。
 
 基本的には首長は大統領と同じであり、選挙民の選択で選抜される。これが基本である。ところが日本の殆どの首長は大統領とは言い難く、酷いのになると民主主義否定の行政の家来・小間使いに成り下がっている。そう言う意味においてはこの河村市長、真の大統領的首長である。私は民主党の代議士の頃より一番庶民的感覚のこの河村たかしさんは好きだった。今回も、他の首長連中がことごとくこの不景気の世に人事院勧告に従って昇給させている中での「勧告通りにはいきませんよ。中小企業が苦しんでいるので」の言葉には感動さえ覚える。
 人事院なんて所詮役人であり、役人の仲間である。見方によっては人間本来の奥ゆかしさを根底から破壊する組織である。何故なら自分で自分の身内を褒める家系と同じだからである。我々は古来代々家長より、自分はもとより自分の身内は決して褒めるな、例え貶(けな)しても褒めるなと教えられて来た。良ければ他人が褒めてくれるからである。それと全く同じ思想で、自分の身内の給料を、良し悪しの基準を身内が決めそしてそれを身内が貰う、こんな不合理他に無い。普通ならかえって気を遣い上げるどころか、下げる事が真の奥ゆかしい気遣いと言えるのではないか。
もっともその決め方に照らし合わせれば、都市部と地方部、また大企業と中小・零細企業によってその構造により賃金体系はピンキリである。だったらその地域地方を加味するは当たり前なのだが、どう言う訳か事賃金体系だけは都市部大企業相対である。これでは都市部の役人は不満で、地方部の役人は大喜びである。こんな体系に一つの疑問も持たない人事院何てやはり身内的組織だ。河村市長の英断に賛辞を送りたい。