先に決まった新国立競技場 恐るべし官製談合の実態ドラマ(その1)

まず初めにこの記事は全て私の推測で書いてる事をお断りしておきたい。
 
「ニッポンの顔」をつくるというのに、なんだかいつまでもスッキリしない。今回出てきたA案とB案も、裏にはいろいろあるようだ。国民の願いはただ一つ。誇りを持てる競技場をつくつてほしい。
 
 「オリンピックの本来の意義は、目標を持った人々がそのチャレンジ精神を披露することにあると思います。それだけに、今回、新国立競技場の公募が『狭き門』になってしまったことは残念でなりません。
 コストと工期ばかりが重要視され、それだけで評価されては、建築家は力を発揮できるわけがない。今回提案された2案はいずれも、1964年の東京オリンピックの際に丹下健三氏が建設した国立代々木競技場のような、世界に誇れるスタジアムには成り得ないでしょう」
 そう語るのは、新国立競技場建設計画のコンペへの参加を断念した、神戸大学大学院工学研究科教授の遠藤秀平氏だ。
 ようやく決定される運びとなった、新国立案。だが、再選となって応募があったのは、大成建設と建築家・隈研吾氏によるA案、竹中工務店清水建設大林組の共同事業と建築家・伊東豊雄氏によるB案だけだった。
 勿年に開催する東京オリンピックのテーマは、震災復興であり、新国立はそのシンボルであったはず。実際、ザハ・ハディド氏の案が採用された前回は、政府も広くデザイン案を公募し、46件の応募があった。それがなぜ、今同は2案だけだったのか。
 遠藤氏が続ける。「応募要綱が発表されると、そこには『設計・施工一体型が条件』とあったんです。これは、建築家単体の提案ではなく、施工会社と組んでの提案ではないと応募できないということです。
 仕方なく、私は大手ゼネコンを含む5社に打診をした。しかし、組んでくれる施工業者は1社もありませんでした。私と同じように施工会社が見つからず、応募を断念した建築家がほとんどだったため、2案しか出てこなかったんでしょう」
 この応募条件では、デザイン性に富んだ案が出てくるわけがなかった、と語るのは、多摩美術大学教授で建築評論家の飯島洋一氏だ。
 「今回の案は、ともにザハ案と違って奇抜な部分がないので、工期も短く済み、コストも安く抑えることができるはずです。ただ逆に言えば、どちらにも明確な違いがない、メリハリのないデザインとも言えます。
 こうなったのは、応募条件のせいだと思います。設計者が決まった後、その設計者が建設会社を指名するのが、通常の建築事業のあり方。しかし今回は、組むゼネコンが決まっていないと応募できなかった。当然、計画には建設会社の意向が色濃く反映されます。彼らはリスクを冒したくない。だから、ABともに無難な案になった」 また、2案しか応募がなかった背景には、ゼネコン各社の間に、ある共通した「雰囲気」が漂っていたからだという。
 再び前出の遠藤氏。「打診をした施工会社はそろって、『どうせ大成で決まりだから』という様子でした。大成は旧計画におけるスタンド部分の工事契約を結んでいたので、作業員や資材の手配を含め、すでに様々なノウハウも持っている。要するに、圧倒的に大成有利だったのです。だから他の施工会社はみな、無理してコンペに参加しても意味がないと考えたんでしょう」
 そんな空気があったからこそ、B案も竹中・清水・大林による、共同事業体となったようだ。
 「新国立に限らず、単体受注のほうが建設はスムーズに進みます。企業間の調整がいらないんですから、当たり前ですよね。竹中は旧計画で、屋根部分の建設を受注していた手前、一応、新計画の入札に手を挙げたに過ぎません。ただ、屋根部分は大成のスタンド部分と違い、あまり人手はいらない。そのため、下請けの人員の手配をそれほどしておらず、事業への予算もそれほど割いていなかった。だから、清水と大林に協力を仰がざるを得なかったんです」(大手ゼネコン幹部)
 大成ありきで進んでいた新計画。1214日に2案が出そろった直後、あの文教族のドン・森喜朗五輪組織委員会会長が「B案のほうがいい」と唐突に発言したのも、こんな思惑があったからだという。
 「7月17日にサハーハディド氏設計の旧計画が白紙撤回になる直前に開かれた、森さん、下村(博文)前文科相、安倍首相による秘密会合。その席で、下村さんは森さんに計画の見直しをお願いしました。すると森さんは、『ここまで準備をしてきて止められるわけがないだろう!・ 事業者にどう説明するんだ!』と激怒したんです。事業者とは、大成のこと。約2500億円にも膨れ上がった旧計画の事業費のうち、大成は1570億円分を請け負う予定で、その準備を進めていた。それだけではなく、すでに約33億円の資材も発注してしまっていましたからね。
 ではなぜ、大成のA案ではなく『B案が良い』と言ったのか。これは森さんの得意技で、パフォーマンスに過ぎません。
会長である森さんがB案と言った上でA案が選ばれれば、公正な審査が行われたと印象づけられるからですよ。しかも、同じく旧計画の事業を請け負っていた竹中のメンツも保たれる。
 森さんは、自分のキャラクターならば、大した問題にもならず、『失言』として片付けられることも含めて予想していた。それどころか、森さんがB案と言えば、世論はA案の支持に動くとまで考えていた節がある。非常に政治的な発言ですよ」(全国紙都政担当デスク)
 
AもBも中身は同じ
 
 ザハ案が白紙撤回になった後、下村文科相は更迭されたにもかかわらず、相変わらず組織委会長の座に居座っていることからも、森会長がいまだに絶大な発言力を持っているのは明らかだ。
 事実、下村氏の後任である馳浩文科相は森会長が政治家としてスカウトし、引き上げた人物。新国立の計画案に最終決定を下す立場であるJSC(日本スポーツ振興センタ上の大東和美理事長も、元ラグビー日本代表であり、森会長の人脈に連なる人物だ。
 すべては森会長のインテリジェンスによる、シナリオ通りだったのか。発言の真意を聞くべく、本誌は森会長に取材を試みたが、「知らない人とは話しません」 と答えるだけだった。
 大成建設にも自信のほどを聞いたが、「全て回答を差し控えさせていただいております。申し訳ありませんが、回答できない理由も含めて全て差し控えさせていただいております」 との回答だった。
 とはいえ、五輪組織委員会会長といえど、独断でどちらの案を採用するか決定することはできない。旧計画が2500億円にまで膨れ上がった責任を大成に求める声が、審査委員会のメンバーや官邸内に根強くあるのも事実。選考は、最後まで揉めただろう。
 まさに「茶番劇」と言える、新計画の公募から決定までの経緯。心配になってくるのは、こんな状況で、国民が納得できるスタジアムができるのか、ということだ。
 新国立が東京オリンピックのシンボルであることは変わりない。これ以上建設が遅れるようなことになれば、大会そのものを危ぶむ声が出てくるだろう。
 
 そもそも、この2案にはどれはどの違いがあったのか。改めて、A案とB案の概要を比較してみよう。
 
○競技場名称
・A案、B案ともに「杜のスタジアム」
○総工費
・A案→1490億円
・B案→1497億円
○工期
・A案→36ヵ月(201612
月~201911月)
・B案→34ヵ月(2017年2
月~201911月)
○収容人数
・A案、B案ともに約6万8000
○主な特徴
・A案→木と鉄のハイブリッド屋根
・B案→純国産カラマツ72本を使用した支柱
 
 工費や工期はほぼ同じで、偶然にも名称まで一致。外観も、別紙の写真を見ればわかるように、大差はない。
 専門家らは、具体的にはこれらをどう評価するのか。
 前出の飯島氏は、しいて言えば、A案だとする。
 「違いと言えるのは、耐震性能くらい。A案は制震構造、B案は免震構造
地震に強いのは前者なので、わずかにA案のほうがポイントが高い。ただそれも、A案のほうが安全な買い物、という程度のものですけどね。
 また、これはあくまで個人的な感想ですが……B案を伊東さんがデザインしたとはどうしても思えないんです。72本の柱を使ったシンボリックなデザインは、伊東さんが最も嫌うもののような気がする。ゼネコンと組んでの提案だけに、様々な制限をかけられてしまったのかなと、勘ぐってしまいます」
 
「和のイメージ」が表面的
 
 一方、明治大学特任教授で人類学者の中沢新一氏は、日本人の「和」の精神という観点からこう評価する。
 「コンセプトだけでなく、『渋谷川の復活』といった細部に至るまで、あまりによく似ていると感じます。ただ、どちらがいいかと問われると、私はB案を推したい。B案のほうが、新国立競技場が建つ『神宮外苑』という場所の特性を、はるかによく考慮しているように感じるからです。
 神宮は、内苑と外苑でまったく役割が違います。内苑は森の中へこもっていき、外苑は未来へと開かれてゆくという、土地としての特性を持っている。ですから、A案のような重厚な建物よりは、B案のような開放的なイメージのほうが、神宮外苑という場所に合っていると思います。
 また、木材を多用するA案の外装は、『和』というイメージの切り貼りをしているように感じます。あまり表面的に『和』を強調しすぎると、かえってちぐはぐな印象を与えてしまいますからね」 A案派、B案派、両案とも評価できない派……。意見は様々だが、共通しているのは、両案にこれといった大差がないということだ。
 だが、そんなことはJSCも承知の上。その証拠に、19日に行われた審査委員会による選考では、こんな採点方法が取られたという。
 「7人の委員が、JSCによって定められた様々な評価基準に沿って採点していきました。一人140点満点。そのうち、工期とコストの配点は、半分の70点でした。『デザイン性』にあたる項目の配点は、わずか10点。『日本らしさ』も10点です。つまり、ほぼ工期とコストだけで選考を行ったということ。『とにかく建てばいい』と考えているのは、JSCであり、ひいては政府なんです」(前出のデスク)
 カネがかかりすぎると批判を浴びたザハ案から一転、今度はデザインを軽視し、コストと工期がかからない計画へと舵が切られた新国立競技場。たとえ制限がある中でも、世界を驚かすスタジアムを作る技術力が、日本にはあるはず。プライドを見せるときだ。
 
 
これ先日発売された週刊現代新春特大1月2・9日号の記事である。
 
 
 冒頭で記したが、これはあくまでも一般的建設工事に携わった経験のある建設会社の者としての推測である。そこのところをお含みおき願いたい。
 
 まず初めに今の入札制度はどうなっているかと言う事であるが、一昔前以上は発注者の施設に出向き、指名業者が一堂に会し、入札札(ふだ)を入札執行官の指示に基づき、入札金額を記入して入札箱に一斉に投函したものであるが、談合防止と言う事で、電子入札(IDとパスワードでネットで相手の指定するところに送付)に変わった。だから我々建設業者は、用が無い限り役所に来るなと言う事である。ところがある一定以上の金額の工事の場合(何10億何百億のような)は私は経験した事無いから解らないが、金額が金額だから、以前のような入札方式で厳粛に行われたのではないかと思う。私は経験がないから知る由もない。どの工事も落札(これ以上は高くならないと言う金額)するための基準金額(これを工事予定価格と言い予め発注者が計算した金額=この金額であればと言う金額)が設定されているので、応札業者はこの金額を下回らなければ落札とはならない。ところが発注者も業者も今はその工事金額をコンピューターで計算しているが、確率学からいっても、計算するのは機械であるが設計の内容等を考え単価を入れるのは人間である。いくら役所で単価を公表していると言っても、一円まで同じ金額になるのは万が一にも有り得ないのが現在の科学の現状である(公共工事の入札金額は千円未満切り捨てである)。但し専門の人間が毎日同じような工事を何10回となく続ければ、人間の習性として、その金額に近づけられるのはあり得る事ではあるが、1円まではあり得ないと考えた方が良いと思われる。大体入札・落札金額の出し方はこれでお解りと思われるが、不思議な事に、我々くらいの小規模業者の場合は、もし予定価格と落札金額が同じなら発注者の担当官から表向きは言われないが、裏でこっぴどく叱られたものである。もう少し落せと言う事である。落札率100%と言うのは予定価格=落札価格であり、落札率95%と言うのは予定価格×95%と言う事である。つまり常識的に言えば人間が計算する事だから落札率95%くらいにせいと言う事である。もしこれが例え何万分の一の確率で偶然にも落札率100%にでもなったら、この工事の担当である担当官がコッソリ予定価格を教えたのではと疑われるからである。
 前置きはこれくらいで早速この新国立競技場の話に移ろう。
 翌日このブログにて紹介する公募時及び入札時、そしてその結果の調書が公開されているので紹介したのが別紙資料である。驚く事にと言えば知らない者の僻(ひが)みなのか解らないが、一般業者や世論の常識を超えるのか、今回の落札金額が予定価格と全く同じ金額である。これ外国も絡むから国策事業と言う事で、安いと思っての事なのか、なるべくロス無くの考えなのか良く解らないが、我々の常識で言えばこれ等正に官製談合そのものである。しかもそれを誰も指摘しない。そしてもっと不思議なのは、ザハ案時の時の落札業者大成建設が例え工事に着手しようがしまいが、白紙に戻り新たなスタートラインからのものであったなら、確率的に、こんなピッタシカンカン等あり得る筈等無い。これ正に国を挙げ談合そのものの奨励と同じである。確かにここまで拘われば、違約金の如何等問題ではない。下手すれば莫大な損金が発生し、メガゼネコンと言えども会社の存続にかかわる事請け合いである。だからと言ってこれだけの国策事業だから談合やっても良い事にはならないし、説得力も無い。
 また我々の業界は不思議な業界である。公共事業の発注は、公共団体の発注にも拘わらず、指名や、公募に応募した業者は発注した発注者から建設工事を貰ってる意識はほぼ完全と言って良いほどその感覚は無い。我々は公共事業での相指名業者や、応募業者からその工事を頂くと思っている。つまりそれらの入札札(ふだ)を互いに入れる業者がこの工事、今度お宅にお譲りしますと言われない限り、普通の金額で落札出来ないからである。誰か1業者が嫌だと言えば、それこそダンピングの競争の始まりである。つまり100円で売れる商品をメンツをかけて、60円や50円で落札しなくてはならなくなるからである。こんなアホらしいことないのである。我々が適正な価格で落札するからこそ、利益が出、国税地方税も払えるのであって、これが常にダンピングでの競争になれば、恐らく3年も持たず倒産の憂き目は必定である。今回のこの新国立競技場に話を戻せば、我々業界の常識に照らし合わせれば、この工事を落札しようとしてる大成建設は、共に建設案を提出する竹中工務店連合のこの提出書類、本当は肩代わりしなければならない筈であるが、とてつもなく金がかかるし同じ人間がかかわれば全く同じ計画案しか浮かばないから、一緒に提出してくれる業者(この場合は共同体)にその費用恐らく賠償するのではと私は考える。そう考えれば、殆どの事が辻褄が合い納得できる。結論を言おう。これは官製談合における業者側も大規模な談合の合唱だ。がしかし、先に言ったように切羽詰った国策事業と言う事での事情で相殺されると、国も業者も思ったからでないかと思う。でも私は悪しき前例を残したと思っている。この事は今度二度は出来ないし、法的に禍根を残したと言って良い。国もバカな事したものだ。


これらの入札調書や契約金額等詳細が公表されているが、量が膨大のため    別紙として翌日それを紹介したい。合わせて読んで頂ければありがたい。