いまの気持ちをどう表現したらいいのか。怒りと衝撃と深い悲しみと――。
人質になっていたジャーナリストの後藤健二さんが殺害されたというニュースが飛び込んできました。人間は、こんなにも残酷になれるものなのか。悲しみは怒りに変わります。
■冷戦のタガ外れ、民族主義や宗教心が高揚
イスラム過激派組織の自称「イスラム国」。世界は、とんでもない化け物を生み出してしまいました。
先週金曜日は、東京工業大の後期講義の最終日。後藤さんの安否が不明な中で、私は学生たちに、今回の事件を歴史の中に位置づける視点を持ってほしいと話しました。
第2次世界大戦後、世界は、3度目の世界大戦が起きないようにと、国際連合を組織しました。
しかし、東西冷戦が始まり、世界は米国陣営とソ連陣営に二分されます。米国とソ連は対立するものの、実際の戦争にはならずに「冷たい戦争」を戦います。その結果、「冷たい平和」が誕生します。
その一方、米国とソ連の対立の周辺部で代理戦争が勃発します。朝鮮戦争であり、ベトナム戦争でした。アフリカではアンゴラ内戦も起きました。
東西冷戦の中で育った私にとって、ベルリンの壁崩壊に続く東西冷戦の終結は、新しい歴史の幕開けでした。ようやく平和な世界が来る。そう思ったのですが……。
実際には、各地で地域紛争が頻発します。湾岸戦争や旧ユーゴスラビア内戦などが、その例です。
東西冷戦というタガがはずれ、それまで隠れていた民族主義や宗教心の高揚が起きたのです。
イスラム過激派組織の自称「イスラム国」。世界は、とんでもない化け物を生み出してしまいました。
先週金曜日は、東京工業大の後期講義の最終日。後藤さんの安否が不明な中で、私は学生たちに、今回の事件を歴史の中に位置づける視点を持ってほしいと話しました。
第2次世界大戦後、世界は、3度目の世界大戦が起きないようにと、国際連合を組織しました。
しかし、東西冷戦が始まり、世界は米国陣営とソ連陣営に二分されます。米国とソ連は対立するものの、実際の戦争にはならずに「冷たい戦争」を戦います。その結果、「冷たい平和」が誕生します。
その一方、米国とソ連の対立の周辺部で代理戦争が勃発します。朝鮮戦争であり、ベトナム戦争でした。アフリカではアンゴラ内戦も起きました。
東西冷戦の中で育った私にとって、ベルリンの壁崩壊に続く東西冷戦の終結は、新しい歴史の幕開けでした。ようやく平和な世界が来る。そう思ったのですが……。
実際には、各地で地域紛争が頻発します。湾岸戦争や旧ユーゴスラビア内戦などが、その例です。
東西冷戦というタガがはずれ、それまで隠れていた民族主義や宗教心の高揚が起きたのです。
■歴史から学び、次の悲劇防ぐ仕組みを
中東では、イラクのフセイン大統領が、金持ちの隣国クウェートを侵略します。これに脅(おび)えたサウジアラビアは、米国に支援を要請。米軍がサウジに駐留する一方、米国主導で多国籍軍が組織され、イラクを攻撃。イラクはクウェートから撤退しました。
その一方、異教徒がイスラム教の聖地であるサウジに駐屯したことに怒ったウサマ・ビンラディンは、サウジの国王の方針を批判したため、国外追放になります。
ビンラディンは、かつていたことのあるアフガニスタンに移り、タリバン政権の庇護(ひご)の下、反米テロネットワーク「アルカイダ」を組織し、2001年9月、米同時多発テロを引き起こしたのです。
怒った米国は、アフガニスタンを攻撃し、さらにイラクまでも攻撃しました。フセイン政権を倒したのです。これにより、イラク国内は大混乱。内戦状態の中で、「イラクのイスラム国」の前身組織が誕生します。
その後、「アラブの春」の盛り上がりの中で、隣国シリアが政府軍と反政府勢力による内戦状態に陥ると、「イラクのイスラム国」は、「イラクとシリアのイスラム国」と組織名を変え、シリア内戦に介入します。ここで力を蓄えた組織はイラクに戻って、「イスラム国」に改名。もはや活動領域はイラクやシリアにとどまらない、イスラム世界全体を統一するのだという野望を示したのです。
民族主義と宗教心の高揚。それが、各地に過激組織を生み落としました。
各地で頻発するようになった紛争を取材していたのが、後藤健二さんでした。常に弱い者に目を向け、日本に、そして世界に惨状を伝えようとしていた後藤さん。そんな後藤さんの無念さを思うと、言葉もありません。
こうした悲劇を防ぐには、どうすればいいのか。即効薬はありませんが、いまこそ求められるのは歴史観ではないのか。人間の愚かさと知恵の詰まった歴史を学ぶ中から、次の悲劇を防止する仕組みを構想する。
そのために、若い人たちに、今回の悲劇を歴史の中に位置づける視点を伝えていきたい。さらに後藤さんの遺志を若い世代に伝える。私には、これしかできないという無力感の中で決意しています。
中東では、イラクのフセイン大統領が、金持ちの隣国クウェートを侵略します。これに脅(おび)えたサウジアラビアは、米国に支援を要請。米軍がサウジに駐留する一方、米国主導で多国籍軍が組織され、イラクを攻撃。イラクはクウェートから撤退しました。
その一方、異教徒がイスラム教の聖地であるサウジに駐屯したことに怒ったウサマ・ビンラディンは、サウジの国王の方針を批判したため、国外追放になります。
ビンラディンは、かつていたことのあるアフガニスタンに移り、タリバン政権の庇護(ひご)の下、反米テロネットワーク「アルカイダ」を組織し、2001年9月、米同時多発テロを引き起こしたのです。
怒った米国は、アフガニスタンを攻撃し、さらにイラクまでも攻撃しました。フセイン政権を倒したのです。これにより、イラク国内は大混乱。内戦状態の中で、「イラクのイスラム国」の前身組織が誕生します。
その後、「アラブの春」の盛り上がりの中で、隣国シリアが政府軍と反政府勢力による内戦状態に陥ると、「イラクのイスラム国」は、「イラクとシリアのイスラム国」と組織名を変え、シリア内戦に介入します。ここで力を蓄えた組織はイラクに戻って、「イスラム国」に改名。もはや活動領域はイラクやシリアにとどまらない、イスラム世界全体を統一するのだという野望を示したのです。
民族主義と宗教心の高揚。それが、各地に過激組織を生み落としました。
各地で頻発するようになった紛争を取材していたのが、後藤健二さんでした。常に弱い者に目を向け、日本に、そして世界に惨状を伝えようとしていた後藤さん。そんな後藤さんの無念さを思うと、言葉もありません。
こうした悲劇を防ぐには、どうすればいいのか。即効薬はありませんが、いまこそ求められるのは歴史観ではないのか。人間の愚かさと知恵の詰まった歴史を学ぶ中から、次の悲劇を防止する仕組みを構想する。
そのために、若い人たちに、今回の悲劇を歴史の中に位置づける視点を伝えていきたい。さらに後藤さんの遺志を若い世代に伝える。私には、これしかできないという無力感の中で決意しています。
本当に今回殺害されたとされる湯川遥菜さん、後藤健二さんのご家族の方々に対しては何と言って良いのか言葉が見つかりません。何故ならもう二度と会う事叶わず、もちろん話すことも永遠に出来ないからです。私も娘を亡くしてるので良く解るつもりです。でも私には理解できません。命を懸けて何故危険を承知でと問いただしたかった気持ちです。責任感と使命感なのでしょうか。何故危険と解ってるところに身を投じるのか。自思に対する達成感なのだろうか。いづれにしても若くない自分に問問答してる現在です。そして私は今無性に安倍首相が憎い気持ちが芽生えて居ます。何故なら自分よがりな右傾思想がこの結末を生んだと言う事にあるからであります。万人皆顔が違うように考え方ももちろん違う事は、否定はしません。だが彼の気持ちの底には、右傾思想の集大成の「集団的自衛権行使」への道筋が見えたような、したりきった表情が垣間見えたのが私にとって何よりも憎く、我が国のトップとしての宰相の質が欠落してる様に思えました。