沖縄県の辺野古沿岸部の埋め立て承認に不快感を感じた

 沖縄県仲井真弘多知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)移設の前提となる名護市辺野古沿岸部の埋め立てを承認する意向を固めた。承認の事実上の条件として求めた基地負担軽減策について、安倍晋三首相の回答は一定の評価ができると判断したためだ。政府の埋め立て申請をはねつければ、普天間の危険性を固定化させかねないとの強い懸念から、苦渋の決断を迫られた。
 「安倍総理にやっていただいたことをきちんと胸の中に受け止める」。仲井真知事は25日の首相との会談で、環境分野の新たな協定締結に向けた対米交渉入りなど首相が提示した負担軽減策を歓迎、政府が求める埋め立て承認に応じる姿勢をにじませた。
 市街地の中心部にある普天間飛行場の「一日も早い危険性除去」は、仲井真知事が2006年の初当選時から掲げてきた公約。一方で県内移設に反対の世論は強く、民主党政権が県外移設を事実上公約しながら撤回に追い込まれた不手際も災いし、見通しの立たない「県外」を主張せざるを得なかった。
 この間、日米両政府関係者からは「知事が承認しなければ現状固定化だ」との警告が再三にわたって伝えられた。そのたびに仲井真氏は「県外移設の方が早い」と反論してきたが、内心では「焦りを募らせてきた」(知事周辺)。
 自ら埋め立ての可否の判断期限とした年末が近づく中、仲井真知事は今月17日の沖縄政策協議会で、普天間飛行場の5年以内の運用停止や日米地位協定の改定を政府に申し入れた。県幹部によると、知事は米側の同意を得られず実現は難しいと理解しつつ、政府が一定の「誠意」を見せることが落としどころと考えていたという。
 実際、県側が最も力点を置いた普天間飛行場の5年以内の運用停止について、首相は「危険性除去は極めて重要だ」と述べただけだったが、仲井真知事は「首相が言ったことそのものが担保だ」と具体策の提示までは求めなかった。 
 ただ、辺野古移設に県民の理解を得ることについて、仲井真知事は記者団に「非常に難しい」と認めるしかなかった。地元名護市の埋め立て反対の意見書も無視する形となり、説明に苦慮するのは避けられそうにない。(2013/12/25-21:24)
 

これ「負担軽減、政権の姿勢評価=固定化回避へ苦渋の決断-仲井真沖縄知事」と題した時事通信の報道である。
 

 沖縄県仲井真弘多知事が27日、米軍普天間基地宜野湾市)を移設するため政府が申請した名護市辺野古の埋め立ての承認を表明する見通しとなった。25日に首相官邸で会談した安倍晋三首相から沖縄の負担軽減や振興策の説明を受け、判断を固めた。同日、沖縄に戻った仲井真知事は地元関係者らと最終調整したうえで、正式表明する。
 政府は3月、公有水面埋立法に基づき辺野古沿岸部の埋め立て承認を知事に申請していた。知事が承認すれば、移設に向けた当面の行政手続き上の壁を越える。沖縄ではなお県内移設への反対が強く、政府・与党は来年1月の名護市長選などに向けて反発が強まらないよう、慎重に対処する方針だ。
 首相は25日の会談で、負担軽減の具体策として、米軍基地内で自治体が環境調査をできるようにする新たな協定締結に向けて米政府と交渉に入ることなどを説明。知事は承認の可否を「27日までに間に合うように決めたい」と述べた。
 会談には、菅義偉官房長官沖縄県の川上好久副知事が同席した。首相は「沖縄振興と基地負担軽減の両面にわたって、沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、政府一丸となって全力で各種施策に取り組んでいく」と強調した。知事は「驚くべき立派な内容をご提示いただき、県民を代表し心から感謝し、お礼を申しあげる」と応じた。
 首相は知事が17日の沖縄政策協議会で提出した要請書に沿って、基地負担の軽減策を検討する2つの作業チームを防衛省に設置すると伝えた。1つは知事が普天間基地の5年以内の運用停止を求めていることを受けたチーム。米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイの飛行回数の約半分を沖縄県外に移すための具体策を検討する。もう1つは牧港補給地区(浦添市)の早期返還を検討するチームだ。
 焦点である日米地位協定の改定を巡っては、自治体による米軍基地での環境調査を可能にする新協定を締結するため、日米が協議に入ることで合意したと報告。菅長官は25日の記者会見で「地位協定の改正ではないが、欠けている要素を入れ込むことだから協定の改正と遜色ない」と述べた。
 沖縄振興策に関しては、2021年度まで毎年度3000億円台の振興費を確保するほか、来年度予算案で概算要求を上回る3460億円の予算を計上したことを伝えた。
 

こちらは「沖縄知事、辺野古埋め立て承認へ 27日にも 」と題した日経新聞12月25日 21:17の記事である。
 

 私は沖縄県民の気持ちを思う時、苦渋の決断をした仲井真知事に敬意を表したいと思ったと同時に、自治体として最終的に金の代償を得た事に非常に不愉快に感じた。唯その思いは、皆さんとは全然違う思いである。
 私は仕事の関係上沖縄県人に親しい人が居る。その話を総合して考えればと言う条件付なのだが・・・・・。
 戦後沖縄は完全に植民地であった。それも我々内地の日本人の代わりにと言った方が良いのかも知れない。 戦後直ぐ敗戦国として結んだ日本の自主防衛力が排除された安保条約(旧安保条約)から10数年後に当事の総理大臣岸信介は1960年(昭和35年)1月、ワシントンでアイゼンハワー大統領と会談し改定された新安保条約の調印をした。
 そしてついに1972年(昭和47年)5月15日に沖縄は日本に返還された。これを決断した当事の日本国総理大臣の佐藤栄作は後に、この事でノーベル平和賞を頂いた事は周知の事実である。以来本土復帰した筈だったが米軍のある沖縄は表向きはそうだったが、事実上未だ植民地と変わらない状態は現在も続いていると言える。何故なら戦後60数余年たった今でも、日米の地位協定は変わらずにいたからであり、それは完全なる不平等条約に同じである。が産業の少ない沖縄は自立の代わりに、米軍に依存した。いや依存せざるを得なかったのである。それが現在も続いているのである。正直現在の沖縄は好むと好まざるとに拘わらず、米軍無しの生活は考えられなくなっていたのである。だからこそ、日米安保条約がある限り、無理強いさせられたと言っていいのである。ただ、それとは裏腹に沖縄県民の心は、米軍と日本国に対する嫌悪の気持ちは取れないのである。当然我々日本国民は県民の気持ちを大事に考えるなら、その気持ちを共有し、今までの苦労を労わるべき気持ちを持つべきところ、国はそれを本国国民に要求せず、沖縄振興策と称し金で解決を迫ったのである。知事も県民の心を痛いほど解かりながらも、自治体の首長として、現実な実をとったと言う事だろう。私はその意味は解かり過ぎるほど解かるが、その最大限の気持ちを、それをその振興資金と言うのが私にはどうも引っかかって割り切れず、どう言う訳か不愉快になってしまうのである。