土曜日半ドンの懐かしさ

 私は昭和22年生まれの戦後っこで、いわゆる堺屋太一が書いた未来予測小説の題名「団塊の世代」第1号の世代であり、日本経済の発展と共に生きた世代でもある。

 私はその中でも日本経済の礎と言われる建設産業の一端を担った世代でもある。その時代の我々建設産業はとにかく「モーレツ社員の過酷な時代」とも言えた。その一端を紹介すれば、私が学生時代を終わり親父の建設会社に入った昭和の46年頃から平成の半ばまでは、今の若者ならば毛嫌いする以上の過酷な職場と言えた。なにしろ外の建設現場と言う職種は雨の日は仕事にならないから、晴れた日が勝負だった。晴れれば土日であろうが休み等ある訳がなかった。極端に言えば1年365日晴れれば休み等無いと言う事になる。それに当時、その建設事業を表す言葉に3Kと言う言葉があった。所謂「きつい」「汚い」「危険」の3つの頭文字をもじった3Kである。私は大学を卒業して就職しようにも、家業が建設業者と言うだけで、専門の建築学を生かせないまま就職できず、土木事業の家業を継いだのである。若い遊び盛りの人間が泥に塗れ雨の日にしか休めず、青春時代を過ごしてしまったのである。でも今の日本の経済発展に、少なくとも何万分の1にしかならないだろうが、この日本国の発展に寄与したのではと言う自負は持っているつもりである。

 そう言う意味で1週間の内での土曜日と言う半ドンの楽しさは本当に想像以上に嬉しかったと言う気持ちは今でも忘れられない、我が青春時代の1ページでもある。20代で結婚してそれに耐えてくれた妻には感謝しても感謝しきれない気持ちである。だが今その話を聞いて後を継いだ息子世代には親父の時代はそれでもよかったのではと言われると複雑な気持ちになる。

 この記事を書いてる今日は土曜日である。今の日本の現状を考えるに、土曜日は半ドンどころか、日曜と同じ休日である。我々の若い時の嬉しく楽しい土曜日のイメージは無い。それ以上に、今後の日本国の危うさを危惧する方が強い。何故なら目標に向かって何か物事を達成すると言う戦前の日本人の本能に近い考え方が、ここのところの外国並みの「1週6休」の浸透が物作りニッポンを阻害してるように思えてならないからである。戦前の働き過ぎ「ニッポン」が何故悪いのかが解からなくなって来た今日この頃である。