故安倍晋三元首相が存命中時に政治家としての不可解さに疑問

 政治に興味を持って約半世紀、今もってどうして故安倍晋三元首相が北朝鮮拉致問題に本腰を入れなかった事がどうしても解からない。

 私が大卒後社会に出て政治に興味を持った時、時は佐藤栄作内閣総理大臣の時代で正に沖縄が古巣の日本に返還された時だった。戦後の経済復興がなされ、それにつれてわが日本の経済も復興され、世界の列強にそれなりにモノが言えたのが驚きだった。その後に政権を引き継いだ今太閤田中角栄さんはブルドーザーの異名よろしく、日中国交正常化を成し遂げた。佐藤栄作政権で後継を争った元官僚の福田赳夫さんの子分だった元外務大臣だった安倍晋太郎さんの息子が故安倍晋三元首相であるし、その後に長期に政権を頂く事が出来たのも少なからずその布石もあったと言う事になり、後の小泉政権北朝鮮拉致被害問題で直接担当者としての官房副長官の地位も得た事は政治家として最高の舞台を任されたに等しかった。のちに8年9か月もの長期の権力者としての地位を頂き、政治家としての冥利に尽きた筈だった。この最高の舞台を利用せず何故、田舎者に近い政治の私的利用に走ったのか私にはどうしても解からない事だった。これに真剣に取り組み、いくらかでも前進していれば、叔父である佐藤栄作内閣総理大臣沖縄返還に引けをとらない政治課題の決着と言う成果でノーベル賞だって取れた筈である。何故しなかったのか? やらなかったのか? 私には今もってこの不可解事の難問だ。安倍さんが狂ったように外遊時に世界各国にバラ巻いた福沢諭吉日本円が何兆円にもなるのを、北朝鮮に持って行ってれば、今頃拉致被害者全員が帰国していたかも知れないと思うと、最高権力者の胸先三寸で出来たかもと思えば胸が張り裂ける思いである。それもそうだが本人が自認するロシアプーチン大統領との27回もの会談をしていながら北方領土の返還の糸口さえも出来なかった事と合わせ、安倍さんは日本国政治家の資質さえ持ち合わせていなかったと言うべきか。