普通の人間はその人の死を知れば誰が何と言おうと、自らの意思でその人の死を悼み喪に服す。これが当たり前の人間の気持ちであり当然の行いである。それが著名人であれば尚の事、敬いをもって何ら疑義は無い!
ところが我日本国宰相であった安倍さんの場合はこれがすんなりいかなかったのは何故か?それが今問われているのが不思議と言えば不思議である。
国葬と言えば本来誰に強制される訳では無く、弔旗を掲揚し、葬儀中に首を垂れ一定時刻の黙とうをし、官公庁や企業及び学校であれば休業や休校をし、喪に服すのが当然の行動と言えるのだが、では安倍さんの場合は何故それが当てはまらず反対が多いのかと言う事になる。少なくとも日本国宰相だった人がである。
思うに人間の死後は生存中の功徳に寄るからである。
安倍さんは8年9か月もの長期の政権を維持した。日本国宰相としては未曽有うの長期間の政権であり戦後を見ても考えられない長期間だった。さぞや腰を据えた素晴らしい政策を行ったとみられても不思議は無い長さだった。だが実際は「アベノミクス」と言う円安誘導策を始めとし、「アベノマスク」と言った不評政策で終わり、長期にしては目新しい政策は皆無であったとしか思えない。だとするなら国民は正直である。そんな人に我々が苦労して納めた血税を使うのには不向きと考えても不思議は無いと言う事であるし、当然の成り行きと言っても良いのである。