遅すぎたコロナ対策「緊急事態宣言」 これはトップの資質か?

 4月7日、安倍総理は、「緊急事態宣言」を出した。
 だが、「遅すぎる」「明日からどう行動すべきかわからない」「弱者に支援が届かない」などと評判は散々だ。
 2月、3月を経て、年度もまたぎ、ほとんど手遅れというところまで宣言を出さなかったのだから、周到な準備がされているかと思ったら、実は、全くの準備不足だったことが会見と同時に露呈した。
 緊急事態宣言により、外出自粛要請に加え、店舗などに休業を要請したり、一定の条件を満たす施設などに閉鎖を指示することができる。店が閉まれば、外出しても仕方ないから、人々の外出抑制に大きな効果が期待される。
 ところが、この措置の対象について、政府と東京都の間で調整がつかず、公表が10日に延期された。その背景には、一部の業界についての自民党族議員と所管官庁の反対がある。利権政治の典型的パターンだ。
 未曽有の国家的危機でもこんな事態に陥った最大の理由は、安倍内閣が実は「官僚主導内閣」だからだ。
 安倍総理の関心事項である外交安全保障や憲法改正、そして、お友達関連案件については、「官邸主導」で驚くほどのリーダーシップを発揮する安倍政権だが、それ以外では、ほぼ官僚丸投げ。結果として従来型の「政官財トライアングルの利権政治」になっている。
 官僚主導でも、従来の延長線上の政策立案なら問題は少ない。だが、未曽有の事態となると、過去問答練で受験戦争を勝ち抜き、霞が関の前例踏襲主義に染まった官僚たちはお手上げだ。
 独創的な対策を思いつかない官僚たちは、「規模」で「前例がない」ことを演出するしか能がない。その結果、一番肝心な弱者救済が不十分な欠陥対策ができあがった。誰がどのように困るのか想定し、その対策を練り上げるべきだったのだが、この2カ月間、それを怠り、過去問の応用問題として対応しようとしていた様子が目に浮かぶ。
 一方、お坊ちゃまの安倍総理は、下々の苦境など具体的に想像することなどできない。時間切れで官僚の案に乗るしかなく、今回の対策の目玉である個人事業主や世帯への給付金も、5月中には何とか配りたいと答えるしかなかった。これを聞いて、国民は皆耳を疑ったのではないか。
 これも、20年度予算案が国会を通る3月末までは、新しい予算の議論はできないという、官僚による前例主義のアドバイスに従った結果だ。 2月中旬に数十兆円のコロナ対策基金のようなものを盛り込んだ修正予算案を出していれば、野党もこれを止めることはできず、今頃様々な対策が動き出していただろう。
 ドイツでは、日本人のミュージシャンやダンス教室運営者などに簡単なネット申請から2日で60万円の給付金が出たことが話題になった。この違いは、メルケル首相と安倍総理という2人の指導者の能力の差によると考えたほうが良いだろう。
 このまま安倍総理に任せておけば、多くの非正規やフリーランスで働く人々、中小零細企業者が路頭に迷い、その結果自殺者が激増する可能性も排除できない。
 緊急事態と言っても、今回は1年以上の長期にわたると言われる。
 緊急事態だから安倍批判を封印しろと言う人もいるが、私はそうは思わない。多くの人の命にかかわる緊急事態だからこそ、国民が安心して任せられるリーダーを、今こそ、選び直すことが必要ではないだろうか。※週刊朝日  2020年4月24日号


これ『古賀茂明「官僚丸投げの安倍総理メルケル首相の差」』と題したAERAdot 古賀茂明2020.4.14 07:00の記事である。


約11年前の政権交代時、政党政治の施策を約束する「マニュフェスト」と言う言葉があちこちで繰り返された事があった。今は懐かしさを覚えるくらい影を潜めてしまった。各政党とも壊れた蓄音機の如く「官僚主導」から「政治主導」への変換を連呼してた事が懐かしい。変人と言われた小泉純一郎政権から颯爽と引き継いだ若き指導者安倍晋三内閣総理大臣の登場で、その変換ももしやと思った御仁も私を含めて結構いたのではと思っていた。が、この上記の著者古賀茂明さんに言わせれば「政治主導」どころか官僚主導」へ回帰と言われるほど全てが「官僚主導政治」といって良い事が解った。これは突き詰めれば受験問題を解く手法、いわゆる過去問に長けた手法であり、新しい問題を解く手法を知らない官僚の「官僚主導型政治」の典型を作ってしまったと言っても過言ではないだろう。これは何の事ない安倍晋三と言う政治屋(政治家とは言いたくない)の質の無さに起因すると言えるだろう。半世紀も前から政治に興味を持って以来日本政治のかじ取りを見てきた私は、当時の今太閤「田中角栄」が何故今いないのか非常に残念に思っている。