小沢を政治屋、選挙屋と言う人に

 初めに私は小沢一郎を評価している1人である事を先に言っておきたい。
 彼に関しての私の論評はこの過去ブログを参照されたい。私が何故今表題の問題を提議するかと言えば、昨今の小沢の「政治とカネ」問題でのマスコミの小沢パッシングに耐えかねてと理解して頂きたい。思うに私は小沢像はマスコミの虚像と思っている。兎に角昨今の小沢パッシングはひどすぎる。私は友人に今この記事を書くのはやめろと忠告された。何故なら全国民のほとんどを敵にまわすから何のメリットも無い事はやめろと言われた。しかし私は、だから書く。だから書きたい。
 人間公人を批判する場合何を根拠とするのだろうか。恐らく、100%マスコミからであろう。その場合にそれが送り手の一方的な感じ方によるものとした場合には、非常に危険な考え方に陥る。だから私はすべてとは言わないが、情報に無知な者ほど危険な考え方に陥りやすい。それがマスメディア利用論の常識と思う。
 私は何度も述べたが小沢一郎と言う男は原理原則論者である。政治も同じだ。政権を取るためには単純に数と思っている。これには理想は無い。現実のみである。だから政治家と言う前に政治屋選挙屋と言われる所以であろう。私は否定はしない、現実問題としてその通りだからである。かと言って彼はこの国の将来像を考えていないかと言えばそうではない。小沢を批判してる人々は、彼の考え方や信条の一端に触れた事があるであろうか。彼のいくらかでも少しでも「政治家小沢一郎」を理解をしてみようと考えた方は居るであろうか。私は提案したい、小沢一郎著「日本改造計画」を読むことを。また、皆さんは知ってるであろうか、最近の与党自民党時代に実現した政策にはこの小沢一郎著「日本改造計画」の何10%かが結果的に採用されている事を。私は小沢一郎を政治家と思っている。そして皆さんに提案したい、『嫌いな奴の本を読め!』と。