民主党のあやまち

 「賛成できねえっつうのは、反対だってことでしょ」
 民主党小沢一郎元代表は3日、党本部で行った野田佳彦首相との再会談で、面と向かって消費税増税関連法案への「造反」を宣言した。
 小沢氏が妥協を一切排除し強気に出ているのは、消費税法案をめぐる民主、自民両党の修正協議は不調に終わるとタカをくくっているからだ。法案は衆院での採決すら行われず、自分が造反する必要もない。逆に野田首相のほうが退陣に追い込まれる-というのが小沢氏の読みだ。
 小沢グループのある幹部は「小沢氏は『(修正協議を)やれるものならやってみろ。どうせできっこない』と思っている」と解説する。
 だからこそ、首相との会談で「野党との修正協議に入りたい」と伝えられると「協議をやること自体は当たり前だ」と、表向き理解を示した。
 ただ、小沢氏のこうした「読み」は、単なる「希望的観測」に終わる可能性もある。消費税法案が採決まで行けば、崖っぷちに立たされるのは小沢氏のほうだ。
 小沢グループの幹部が法案反対でグループ内の締め付けを強化する中、小沢氏本人が態度を豹変(ひょうへん)させるわけにはいかない。しかし、自民党との修正協議が不調に終わるという見立てが崩れ、法案が採決に持ち込まれれば、小沢氏は反対票を投じるか棄権するかの選択肢しかない。首相に対する小沢氏の「造反」宣言は、自らをそういう立場に追い込むことに他ならない。最悪の場合、党代表でもある首相から除籍処分を突き付けられるだろう。
 しかも、新党を結成するにも刑事被告人への風当たりは強い。小沢グループからの同調者はせいぜい「30人前後」という。
 小沢グループ内にも、小沢氏が強気な態度をとり続けることに「取り巻き連中が正確な情報を伝えないことが原因ではないか」(中堅)とみる声もある。
 「民主党鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相と俺が作ったんだ。俺が出ていくわけがない」
 3日の再会談で、小沢氏は首相にこう強調した。民主党をここまで育てたのは自分だ-という強烈な自負心の表れだったのだろうが、強気一辺倒の大前提がひとたび崩れたとき、小沢氏はまさに危機的状況に立たされる。(山本雄史)
 
 
 この記事は2回目の野田-小沢会談が終わったあとの産経新聞の記事である。
 
 

 この記事は大方のマスコミの記事を集約してると言って良いが、私は違う。
 
 他人(ひと)は小沢一郎を「原理原則の男」と言っているが、正に私もそう思っているし、今回ほどそれを納得した事はない。また他人(ひと)はもう1人そう呼ぶ男が居る。かの岡田克也だが、こんなのは、「原理原則の男」と言うより、唯単純な解からずやと言ってよいし、小沢一郎に失礼である。何故私がそう思うかと言えば、1993年(平成5年)5月20日に発行された、小沢一郎著『日本改造計画』を読んでみれば良く解かる。私は何度も書いたが、この『日本改造計画』に、米国のグランドキャニオンに柵は無いから始まる「まえがき」がある。彼の主張は全てこのフレーズに詰っているといって良い。何故なら自己管理の重要性と無責任国家からの脱却 を説いているのである。私も当時発行された時にすぐこの著書を買って見て、胸躍らせた記憶がある。現在見ても、当時より20年も経ってるが、少しも遜色も無く古さも感じさせない。私はこの本を読んで、小沢一郎と言う男に二度惚れしたのである。
 
 当時のこの本にも書いてるが、政治家の中で日本の将来において、消費税10%に言及したのは、先日誰かが言ってたが、小沢一郎が最初では無いかと私は思っている。彼はこの著書にも書いてるが、消費税10%に言及してるからこそ、ムダの排除や現在の官僚主導による、中央集権政治を地方分権基本法を制定して地方に権利を移譲する政治を求めて、そのためには全国を300の「市」にし、身近なことはすべて地方に権限を移譲し、当然に財源をも移す事の必要性を説いていたのである。それが奇しくも、現在 「市」だけはその様に実現してるのである。
 
 彼は今回の会談で、「民主党鳩山由紀夫元首相と菅直人前首相と俺が作ったんだ。俺が出ていくわけがない」と言う主張に全てを垣間見る事が出来る。言っちゃぁ悪いが、今の民主党の幹部で、政権交代に真剣に取り組み、真剣に民主党の啓蒙に寄与した者は何人居るのだろうか。私から言わせれば、岡田や前原、仙谷や枝野たち今の幹部連中等は、それこそ、お手並み拝見の趣旨でかえって、自民党と手は結ばないが、小沢嫌いで静観してただけだった。実際政権をとってから厚顔よろしく、しゃあしゃあと出て来ただけではないか。それだけ嫌いだった小沢を代表にして利用しただけだった。だからこそ、はなから政権交代時のマニフェストなんか守るつもりなど毛頭無かったのである。
 
 このような連中の集まりであった民主党だったから、「水と油」の集まり、これが民主党の「あやまち」だったからに他ならない。しかし、55年体制の悪しき風習党、自民党を下野させた功績は大である。例え「あやまち」だったとしても、現在の官僚体制を作った自民党には絶対回帰させてはならないのである。