元自民党副総裁の山崎拓さん盟友の小泉純一郎元首相を天才ポピュリストと評価してるが、それしか出来ない人間だった? 一国の政治は博打ではない筈だからだ!

「平成で思い浮かぶ人物」という世論調査で断トツトップとなった小泉純一郎元首相。郵政民営化拉致問題などの記憶が鮮明に残っているためだ。DOL特集「平成の証言」では、そんな小泉元首相を、「YKKトリオ」としてそばで見続け、『YKK秘録』(講談社)を出版した自民党元副総裁の山崎拓氏に、小泉劇場の舞台裏などを振り返ってもらった。(ジャーナリスト 横田由美子
 
小泉純一郎元首相は天才的なポピュリスト
──読売新聞の全国世論調査で「平成で思い浮かぶ人物」を挙げてもらったところ、小泉純一郎元首相が断トツでトップでした。山崎さんは、小泉さん、加藤絋一さんと一緒にYKKを結成して政局をリードし、小泉政権誕生後は、幹事長として政権の中枢を担いました。山崎さんにとって小泉さんとはどのような人物に映っていますか。
山崎 『YKK秘録』にも、小泉さんの印象は書いてありますが、一言で言えば、天才的な「ポピュリスト」です。
 
 彼が当時、よく言っていたのが、「ローマ皇帝は民衆を統治する上で、パンとサーカスを与えた」という言葉です。パンとは生活、すなわち経済です。サーカスは、民衆を興奮させるための演出です。一定の生活水準を民衆に与え、民衆が固唾を飲んで興奮するような命綱のない空中ブランコを見せた
 
■小泉が激怒し公認を取り消した杉村太蔵当選の舞台裏
 彼は日本の「ローマ皇帝」になり、パンとサーカスを実践しようとした。パンの部分が、小泉政権のメインテーマだった郵政民営化でした。小泉さんは、郵政民営化が経済の“血流”をよくすると信じていた。そして、サーカスの部分は郵政民営化解散でしょう。郵政民営化法案を国会に提出するにあたり、そのプロセスには相当苦労した。提出できたのはよかったが、衆院はわずか5票差での可決、参議院では否決された。
 
──当時、衆議院郵政民営化特別委員会の委員長が二階俊博・現自由民主党幹事長で、山崎さんが筆頭理事を務めていました。
山崎 これは憲政の常道に反するのですが、小泉さんは、参議院で死んだ法案を生き返らせるために、衆議院を解散させるという禁じ手を断行した。「郵政民営化に反対した議員を全て落選させる」と言って、“刺客”という名の対抗馬を立てた。負けたらおしまい。民営化自体が吹っ飛ぶ、完全な空中ブランコです。そんな刺客の1人が、今をときめく片山さつき女性活躍担当大臣。国会で超党派でいじめにあっている人ですよ。
 
 刺客といっても千差万別で、党本部は選挙に苦労した。今、タレントとして活躍している杉村太蔵君も、当初は「刺客」扱いだったのです。本人が強く「刺客」になることを希望したのだけれど、あまりに弱小候補で擁立する小選挙区がなかった。
 それで、僕の地盤だった「福岡で引き取ってくれないか」という要請があり、福岡1区で擁立することにした。福岡県連の選考はなんとか通ってひと安心したのだが、党本部に上げたところ、「待った」がかかった。
 小泉さんが、杉村君の書いた郵政民営化に関する論文を読んだところ、完璧だったという。それで小泉さんがけげんに思って、杉村君を東京に呼んで、「これは、君が書いたのか?」と、質問したら、「竹中平蔵先生の論文を丸写ししました」と答えた(苦笑)。
 小泉さんが激怒し、当たり前ですが公認は取り消し、彼は路頭に迷った。武部さん(武部勤元幹事長)が哀れに思ったんでしょうね。同情して、北関東ブロック比例区の末席に名前を入れてあげた。絶対に当選しないはずだったのですが、自民党の比例候補は全員当選して、なおかつ票が余って、最下位ランクの杉村君も当選してしまった。
 
 その後、「料亭とか行けちゃうんですよね」といったさまざまな彼の“舌禍事件”については、皆さんまだご記憶にあるかもしれませんね。
──最近、小泉さんが行きつけの料理屋で、武部さんや山崎さんたちと一緒に杉村さんにお会いになったことが報じられました。
山崎 彼の政治生命は1期で断たれたわけですが、その後、タレントとして大活躍しているという話になって、小泉さんが興味半分で「杉村を呼べよ」と武部さんに言ったんです。武部さんが電話をしたら飛んできた。
 
 基本的にこの会は、毎年4月と10月に行われる小泉内閣の同窓会。幹事は武部さんで、他に環境大臣だった小池百合子さんと僕。それと、保守党の幹事長だった二階さん。小泉政権は、「自・公・保政権」でしたから。公明党冬柴鐵三さんが幹事長で、ご存命だったら、必ずメンバーに入っていたと思います。
 そういう、話題を楽しむ同窓会に、たまたま杉村君が呼ばれた。僕は、開口一番、「借金を返せ」と言いました。一時期、福岡1区で擁立が決まったことは言いましたが、そのとき僕の選挙事務所にずた袋を背負ってやってきた。中には布団が入っていて、事務所で寝泊まりしていたんです。
 そこに小泉さんから呼び出しがかかるのですが、「旅費がありません」と言う。僕はとにかく、「党本部は君の公認を疑問視してるから行かないとダメだ、と強く言って飛行機賃を5万円貸した。それっきりですよ。
 そうしたら武部さんが、「今、2億稼ぐそうじゃないか。13年もたっているし、利子も含めて500万返しなさい」と苦言を呈したら、「分かりました」と這々の体で帰っていった。
 そしたらその後しばらくしてから、福岡の僕の実家に「御礼」とのし紙がついた箱が届いて、空けたら普通のワインと御礼の手紙が入っている。妻が不思議がって、「突然、杉村太蔵さんから御礼の手紙がきて意味が分からない」とあきれていましたよ。
 
 拉致事件197778年にかけて集中的に起きました。小泉さんが5人を生還させたけれど、その他の人たちは41年間放置され続けているわけです。僕は、これだけ時間が過ぎても「全員生還」などと言うのは、逆に、国民に対する欺瞞だと思っています。
──その安倍さんを引き立てたのは、小泉さんです。まさに02年の訪朝時には、官房副長官に抜擢され、スター街道を歩いていました。今回の読売新聞の調査では、小泉さんを抜く長期政権の割には、小泉さんに大きく水をあけられて5位となっています。
山崎 小泉さんほどユニークな政治家はもう出ないでしょう。千両役者で、「政治は芸術」を実践した人でしたから。
 彼は極めて複雑な性格で、「自民党経世会をぶっ壊す」と言って、経世会をあれほど弾劾するほど冷徹な一方で、ネポチズム(縁者びいき)なところもあった。親分だった福田赳夫さんの息子、福田康夫さんを官房長官にし、兄貴分だった安倍晋太郎さんの息子である晋三さんを抜擢して、「清和会」の血脈をつないだ。
 小泉さんは三世だし、顔立ちがいいから毛並みのいいサラブレッドに見えるけど、祖父は背中に入れ墨を背負っていたし、離婚も経験している。実際は大変な苦労人です。標準型ではない。
 しかし、彼の後の総理も、総理候補と呼ばれる政治家も、皆、標準型ですよ。安倍総理を筆頭に、石破茂元幹事長、僕の派閥の後継の石原伸晃近未来政治研究会)会長にしても、特段、個性的なものは感じない。「平成の天才的な政治家」という言葉は、小泉さんのためにあるようなものではないでしょうか。
 
 
これ『小泉純一郎杉村太蔵に激怒、山崎拓が語る「小泉劇場」の舞台裏』と題した2018.12.19DIAMONDonline でのジャーナリスト横田由美子さんの記事である。
 
 
時流とは言え非ポピュリスト小泉純一郎元首相が狂って成しえた「郵政民営化」は現在の姿を見れば、ホラ見た事かと溜飲を下げただろう。私みたいな非ポピュリストはプロ野球落合博満元監督のように少なくとも原則から抜け出さず、この小泉純一郎元首相みたいな類は評価はしない。見方を変えれば、小泉純一郎元首相なんて言う御仁は、ハッタリ以外何も出来ない人間だったのではと思っているし、彼を評価する人間も私は評価しない。何故なら彼は杉村太蔵の丸写しを卑下しながら、自分はアメリカのイエスマン竹中平蔵を丸抱えしての政策実行者だからだ! こんな首相は後にも先にもこの小泉純一郎元首相唯一人である。他の何も出来なかった元首相でさえ、ブレーンよりも霞が関の官僚の言う事聞いてやってた。少なくとも非ポピュリストの堅実経営だった。一国の宰相はリスクは回避が当然だ。だが民衆は満足しないだろうが、一国の政治は博打ではない筈だからだ。