柳瀬氏は、加計学園の獣医学部新設をめぐり、同学園の関係者と面会していたことが問題となっていた。新聞各紙によると、辞任の背景には、柳瀬氏の国会での発言を虚言であったとする野党側が証人喚問を強く求めていた事情がある。そこで政府は証人喚問を回避するために退任させた、とする。
僕は正直なところ、柳瀬氏に同情している。柳瀬氏は、加計学園の獣医学部新設を進展させるために、2015年3月以後3回にわたって、同学園の幹部たちと面会している。それを、彼は国会で“面会は上司の許可を得ず、自分が勝手にやったことだ。その後、報告もしていない”と証言している。
僕は柳瀬氏について、彼が課長時代からよく知っている。非常に真面目で、仕事のできる男だ。こんなことを上司の許可なく勝手にやるようなタイプではない。
彼の上司とは誰か。言うまでもなく安倍首相である。愛媛県や今治市の記録によると、2015年2月25日に安倍首相は加計学園の加計孝太郎と面会し、獣医学部開設について話をしたという。これが事実とすれば、その後、柳瀬氏が加計学園側と面会して話を進めるという流れは極めて合理的だ。
ところが、加計学園の加計孝太郎理事長は、6月19日の記者会見で、「2015年2月25日の加計学園と安倍首相との面会は記憶にも記録にもない」と述べた。しかも、愛媛県の文書に記載されたのは、獣医学部の新設を進めるために同学園の渡辺良人事務局長が勝手にやった話だ、と主張したのである。だが、加計学園という独裁的な集団で事務局長が勝手にやっていることはありえない。加計氏が事務局長の一連の動きを知ったのはいつなのか。この質問に対し、加計氏は「分からない」と言った。理解しがたい話ばかりである。
しかもこの記者会見は、告知は会見の2時間前というタイミングであった上、地元以外のメディアを拒否したため、東京、大阪の記者が出席できなかった。会見時間も、たった26分間しかなかった。
加計理事長と安倍首相の関係は非常に密接である。加計学園側がうそをついたとすれば、いち早く安倍首相に報告しなければならない。さもなければ、安倍首相は怒るはずだ。だから、加計理事長の言うことはまったくもって信用できない。柳瀬氏も重々承知のはずだ。加計学園側の渡辺事務局長も、上司である加計理事長への報告はしていなかったというが、これも不自然な話だ。加計理事長と安倍首相が面会していたのであれば、すべての筋が通る。
繰り返し言うが、柳瀬氏は上司への報告をせず勝手に振る舞う男ではない。では、なぜ、そんなことを言ったのか。彼は自分の人格を犠牲にしてまで、上司を守ろうとしたのである。その結果、辞任に追い込まれた。
ところが、安倍首相は全く責任を取らない。これはおかしな話ではないだろうか。
●「安倍1強」と選挙制度
佐川氏の場合も、彼が嘘つきなのではなくて、安倍首相や麻生財務相を守ろうとしているのである。
安倍首相は2017年2月に国会で、「もし、森友学園の土地売買で自分や妻が関わっていれば、総理大臣も国会議員も辞める」と発言した。安倍首相がこんなことを言ったから、財務省は慌てて決裁文書を改ざんしたのである。しかも、その改ざんの事実は、3月に朝日新聞がスクープしなければ、隠蔽しようとしていた。
その問題について、佐川氏は証人喚問で何度も偽証を繰り返し、野党は佐川氏を告発すると主張している。なぜ佐川氏が偽証したのか。安倍首相や麻生財務相を守るためだ。佐川氏は職を去ったが、安倍首相や麻生氏はそのまま居座っている。これはどういうことなのか。
森喜朗内閣では、2001年にえひめ丸が米国の潜水艦と衝突事故が起こった以後、10%台に落ちている。第1次安倍内閣では、閣僚の不祥事が相次いだ。3人の大臣が事務所の経費に不正が明るみとなり、このうち農水大臣が自殺した事件が起こった。この時、支持率は20%ぎりぎりまで落ちた。麻生内閣では、リーマン・ショックで国内経済が冷え込み、景気を浮揚させることができなかった。そこで自民党内部で麻生降ろしが始まり、支持率は大きく落ちた。
しかし、本コラムでも何度も主張しているように、選挙制度が小選挙区制に変わり、自民党の議員たちが皆、「安倍イエスマン」になってしまった。安倍首相にこれだけ多くの問題が噴出しても、自民党内部から安倍批判の声が出ないのである。
これは、自民党の劣化だと言わざるを得ない。
注目すべきなのは安倍内閣は不支持率も高いことだ。しかし、不支持は野党に流れていない。これは野党にまとまりがないからである。内閣不支持の受け皿となる野党がないうえ、野党をまとめようという人物もいない。ここも大きな問題である。
●参議院選挙は野党がまとまりやすい
来年は景気が悪化する可能性が高い。しかも消費税が上がり、金利も上がる。もし、参議院選挙で野党が一本化すれば、勝てる可能性がある。衆議院選挙は政権選択の選挙であるため野党がまとまるのが難しいかもしれないが、参議院選挙はまとまりやすい。
この記事読んでいて田原さん読者の対象をどこにおいて書いたのかという事が気になった。思うに恐らく、政治に興味のない一般の国民が対象ではないのかと。何故なら、それに興味を持った人間は田原さんでなくても、殆ど田原さんが思うような事には感じていたと思うからである。政治に無知ないわゆる無党派層と言われる国民の中には、驚くなかれ日本国の代表、つまり毎日テレビで顔を映し出されるこの日本国宰相安倍晋三内閣総理大臣の名前さえ知らない国民が何割か居ると言う事である。だって全くテレビのニュースや新聞や本なんぞ見たことがなく、見てるのは芸能人の近況やスポーツの事くらいだからだ。こう言う国民はテレビはフジテレビしか見ない人間だ。もしかしたら田原さん対象をそこにおいたのだろうか。ふとそんな事を考えた私である。戦後の日本人は豊かになり過ぎた。事の善し悪しは違法性が左右すると言われるからである。要するに確かに悪い事をした筈だが、それが法を犯しさえしてなければ許されると言う訳だ。少しくらいの良し悪しは自らに及ばなければ良しとする、そんな風潮が怖い。昔戦後の荒廃期食えない時代にはそれらを自分の事のように考えて助け合ったものだと先人から聞きながら育った我々団塊の世代は、もう古くなってしまったのか。そう感じざるを得ないこれら政治の「モリカケ」問題に対する日本のトップの対応である。