様変わりした自民党の派閥の実態、このままで居てくれ自民党

 自民党の各派閥がなかなか回ってこない出番に焦りを強めている。内閣改造や本格的な党人事は来年夏まで見送りの方向となり、9月末に予定する副大臣政務官人事も執行部は脱派閥の方針を徹底する姿勢を貫いている。入閣待望組を多く抱える各派には不満がくすぶるが、7月の参院選勝利で安定度を増した安倍政権で「政高党低」の構図が揺らぐ気配はない。
 「段ボール箱いっぱいの回答があった。93%の議員が提出した」。自民党幹部は13日、記者団に胸を張った。
 党執行部は所属する衆院議員に、副大臣政務官などの人事の希望を聴取する「自己申告書」を石破茂幹事長名で配布、同日に締め切った。対象は当選5回以下、党四役の未経験者だ。昨年12月の衆院選で政権与党に復帰した後、人事での恩恵をまだ受けていない中堅・若手ばかりだ。
 石破幹事長や菅義偉官房長官は今回の人事を巡り「派閥推薦は受け付けないのが安倍晋三首相の方針だ」と宣言した。一部の派閥幹部は「自己申告書は提出させない」と反発したが、フタを開けてみればほとんどの議員が回答した格好だ。
 かつて派閥の力の源泉は「選挙、カネ、人事」といわれてきた。1990年代の政治改革を経て、国政選挙での公認候補者の決定や政治資金の配分は党本部が決定権を握り、派閥に残された重要な機能の中核はポスト配分となった。
 2001年に誕生した小泉内閣以降、閣僚人事も官邸主導の色彩が強まってはいた。ただ副大臣政務官人事は執行部と各派閥が水面下で調整するケースが多く、党側の不満を吸収する役割があったのが実態だ。
 今回の人事を巡り、最大派閥の町村派や首相に近い麻生太郎副総理・財務相が率いる麻生派などは独自に希望ポストの聞き取りを進めている。二階派西川公也事務総長は13日、派閥としての推薦リストを石破幹事長に提出した。
 谷垣グループが11日昼に開いた会合では、逢沢一郎国会対策委員長が自己申告書を巡り中堅・若手議員に「書く前によく相談してほしい」と呼びかけた。
 派閥幹部は独自の希望調査に基づき、今後もあの手この手で執行部に働きかける構えだ。だが首相官邸側は「派閥推薦を受けると政権が壊れてしまう」(政府高官)と冷ややかだ。
 そもそも各派の競争は党首脳や閣僚の争奪が中心だった。派閥全盛期を知るベテラン秘書は「ずいぶんみみっちいレベルの活動になってしまった」と漏らしている。
 各派には「入閣適齢期」とされる衆院当選5回以上の未入閣者が29人いる。民主党政権で野党だった3年間、役職とは無縁だったのが響き、人数が膨らんでいる。
 首相は17日、自民党役員会と総務会に出席し、人事の一任を取りつける予定だ。その場で石破幹事長、野田聖子総務会長、高市早苗政調会長ら主要役員の再任も決める。その後の副大臣政務官人事で官邸主導が鮮明になれば、各派閥の求心力の一層の低下につながる可能性もある。
 

これ『自民派閥「蚊帳の外」に焦る 内閣改造見送りで出番なし』 と題した日本経済新聞の記事である。
 

 本音と建前が、これほどハッキリした事無いではないか。それほど政治の世界とはいい加減なものであった。時あるごとに、自民の支持率下がりこれはと思った時に、いつも出た派閥解消宣言だった。がしかし、事実はその時の場合だけであった。総選挙時のみであった。事実は選挙向けのまやかしだったのである。野党民主党においては、グループと名を変えただけだった。思うに何故派閥はいけなかったのだろうか。かえって、本音と建前で国民をまやかすよりは、同じ考えの者で行動すると言えなかったのだろうか。私はそこに派閥の本当の姿があったと思っている。同じ考えの者同士で政策を推進する、本来の政治目標を、政策を推進しないで政権を取る事にまい進すると言う間違った方向に舵切った事が国民の反発を招いた事に他ならない。それがそもそもの間違いだった。昔の中選挙区時代はそれも良かったろうが、現在の右か左かの直接選挙時においては、何の意味もなさなかった。特に内容はどうあれ、若年層に派閥=古い体質と見られた事に自浄作用が働いたと感じ、派閥=悪い事と思った事が建前の背中を押し、前面に出せなかった。しかし、永田町に昔から言われた「三人寄れば派閥が出来る」との格言どうりに選挙をしていたら、また違った結果となっていたかも知れない。要は真実の謂れを自ら歪曲したその事が自らの命を縮める事に、自民党は今も気づいていない。
 私はそれで良いと思っている。かえって気付いて改革され、長期政権をされるよりはこのままと思って止まない一人である。