恒例の元東大学長の佐々木毅さんの記事を紹介する

この1月25日ローカル紙に載った「政党・派閥・政治資金」と題した記事である。流石と言うべき記事である。

 

テーマ「政党・派閥・政治資金」

 

 自民党の派閥の裏金問題は当該派閥の会計責任者の責任を追及するという形で法律的には一応の決着を見た。これに呼応するかのように、安倍派、二階派、岸田派の3派は解散を宣言し、残る麻生派、茂木派、森山派の動向に注目が集まっている。裏金問題の舞台となった派閥の解散は確かに一つの対策ではあろうが、派閥問題に対する自民党のこれまでの宣言が実効性を持たなかったことからしても、その一連の解散をもって一件落着と考えるのは早計と言わざるを得ない。

 歴史を振り返ってみると、政党と派閥との区別ははっきりしない時代が長く続いたが、政党政治の中から政党は公共の利益に仕えるのに対して派閥は私的な利益を念頭に活動する集団であるという「差別化」が起こってくる。ここから派閥は政党の内部に巣くう、非公式的でその活動がベールに包まれた、権力志向の集団であるというイメージが成立する。それは何よりも公開性に背を向ける集団であり、今回の裏金づくり事件は政治資金の公開性の大原則を無視した、派閥のイメージにピッタリの事件であったと言えよう。

 今後の改革論議においても派閥の扱いは重要である。派閥の問題は国会議員たちの自由の現れと見なされているようだが、今や自民党は政党を守るためには議員活動の一定の「規律化」を避けて通れない事態に追い込まれている。カタカナ言葉を使うならば、政党のガバナンス・コード(統治原則)の見直しが必要になっている。

 その結果、今後派閥と名乗らない政治家たちの自発的なグループの形成が許されるとしても、その活動は政党の広い意味での監視の下に置かれることにも政党が究極的に責任を負う仕組みにしなければならないし、将来、同様な事件が起こるならば、政党も制裁を免れないことになる。自民党の政治刷新本部の中間取りまとめ案はこのようなガバナンスーコードの見直しに言及しているが、果たしてどこまで自民党にそれができるかは、予断を許さない。

 政治資金規正法の改正についても、パーティーの公開基準の引き下げ、政治資金収支報告書の内容に対する政治家の連帯責任(連座制の導入)、企業・団体献金の是非など、多岐にわたる争点がある。個々の論点がどう決着するかは政党間の協議次第であるが、同じことを繰り返さないようにするためには戦略目標が必要である。

 その目標は政治資金規正法と同様、徹底した公開性の実現によって政治資金の動きを捉え、政治に対する監視の目を養うことである。その観点から、政党から政治家個人に対して支出される政策活動費や調査研究広報滞在費(旧文書通信交通滞在費)のような渡し切りにされている資金について使途基準の明確化やその証拠書類の添付や公開を進めることは喫緊の課題である。

 以前と大きく違うのはデジタル化の進展である。すなわち、政治資金収支報告書が紙媒体でなされ、そのコピーは許されない時代とは異なり、報告書のデジタル化を要求することは当然である。また、この際政治資金の流れをいたずらに複雑化させる構造を思い切って削減する必要がある。例えば、企業・団体献金の受け入れ窓口を政党に集約化し、現金での政治資金の授受の制限などをルール化すべきである。

 これらの欠陥を是正するだけではなお十分とは言えない。それというのも政治資金収支報告書に掲載されている内容の監査体制が甘く、報告書と実態とのギャップを埋めるために必要な質問権や監査権、実質的調査権、廬反行為に対する制裁を科する権限を持った独立した政治資金委員会が存在していないからである。現在の監査制度は極めて外形的・定型的確認の域にとどまり、監査の対象も限定的である。いわゆる政治資金についての連座制の導入もこうした独立の政治資金委員会があってこそ初めてスムーズに進むのではないか。

 こうした改革案が実現するか否かはこれからの国会審議にかかっている。与野党が失敗した時はどうするかなど、本番はこれからである。(元東大学長)