10年前の今日と同じく、今日奇しくも同じリハビリ病院に居る。そして今このブログを書いている。
13年前に脳出血を患い、三途の川を渡らずに今後の人生をそれなりに生きるために私はここのリハビリ専門の病院に来た。それも10年前の今日、この病院であの揺れを経験したのである。当時の状況をブログにアップしてたのでそれを紹介したい。
2011.03.12
記事を書く前にまず、ブロ友の皆さん、それに私のブログを見てくれた人々に対しお見舞いの言葉やら大変ご心配をお掛けしました事、心より感謝を致しますと共に、お陰様にて私はこのようにブログの書ける環境にある事をお知らせ致します。ありがとうございました。
それは昨日14時45、6分頃地鳴りが響き、突如建物が波を打った。三陸沖大地震の第1波である。本当にコンクリートの梁がぐにゃぐにゃと、こんにゃくのようにと言った表現がいいのかも知れない。とにかく今まで見たことの無い恐ろしい光景であった。
その時私は病院に居り、電子申告をこの土日にやるため、自宅外泊のために病院の玄関口に着いたところだった。たまたまそこは吹き抜けになっていて、2階の天井コンクリートの梁が、むき出しになっているところだったので良く見えたのである。
私がこう言う光景を見たのは確か昭和39年の高校2年の頃だったと思うが、新潟地震以来である。今回それと比べてみると、時期が違うので比較は出来ないと思うが、今回の方がすごく震えたと感じられる。
とにかくこの地震は私の63年の人生で最大に思え、今ここに生ある自分に本当に感謝したいと思った。
昨日自宅で電気と水道の無い夜を過し、本当に闇夜の世界を体験した。我が家は私と妻、息子夫婦に小5、小1、と3歳の園児と私の娘の8人家族である。電気と水が使えないため当然暖房はないし、水が無いため風呂とトイレも当然である。急いで夕方明るいうちに、懐中電灯と電池、それにロウソクと灯油用反射ストーブを2つほど灯油と共に用意した。たまたま2日前ガソリン、灯油が何円か値上がりすると言うので妻が買いだめしてたのが今回役に立った。お陰で灯油を気にしないでストーブを使えたのが助かった。とにかく夜は冷え込むので早く寝る事にした。私達夫婦は湯たんぽ代わりに、一番上の孫と3人一緒にくっついて寝た。今回のこの地震は最近の災害特徴である電気と水のいわゆるインフラの大切さを改めて感じさせられた。
ほんの先ほどの夕方、電気と水道が復旧した。本当に嬉しかった。自然と涙が出た。
今こうして幸せにもブログを書いてる自分が不思議であるが、まだ、被災地で救助を待ってる人々を思う時、私は自分の幸せに今、涙を流しながらこのブログを書いている。
以上が当時震災翌日のブログ記事だが、今加筆すれば、震災地ではないところに居る我々も、未曽有うの震災の生々しさがまるで昨日のようにハッキリと思い出される。こんな経験やろうとしても出来るものではない事は言うまでもないが、戦後の第1次ベビーブームで育った我々は本当にこれに限らず貴重な体験をさせてもらい、片道切符の人生を日本の発展と合わせてさせてもらったこの巡り遭わせは願ってもできない事である。そう言う意味においては貴重な人生と言えるのではないだろうか。