政府の接触確認アプリ「COCOA(ココア)」の不評よりその是非論はどうか

 新型コロナウイルス感染者との接触を通知する政府のアプリ「COCOA(ココア)」が一部で機能していなかった問題で、平井卓也デジタル改革相は9日の閣議後会見で「はっきり言って、出来の良いアプリではなかったと思う」と苦言を呈した。アプリを所管する厚生労働省と連携して改善を図る考えを示した。

 

 コロナ禍のなかで一律10万円の現金給付で自治体の現場が混乱したことなどを踏まえ、平井氏は「デジタル系で国民の期待に応えられないような事案が結構出てきた」と指摘。「COCOAなんか、もう、まさにその最たるもの」とし、「そもそも発注自体にも問題があったと言わざるを得ない」とも語った。

 

 平井氏は「何とかCOCOAを立て直さなきゃいけない。私がどう関与するかはこれから考えたい」とし、同日中に厚労省からヒアリングをする方針を示した。(西村圭史)

 

 

これ『接触確認アプリ「出来は良くなかった」 デジタル相苦言』と題した朝日新聞2021/02/09 12:42の配信記事である。

 

 

上記のような不評はもちろんの事だが、私的にはその本質是非論を論じたい。

このアプリいづれも自分のスマフォに登録する事が基本であるが、問題はコロナに感染した者自身が、例え実名でなく識別番号であっても、自ら告白したような数字登録者となる事である。感染者自身が、感染する事だって恥ずかしいのに、私は感染してますと自分のスマフォに登録するが果たして人間の気持ちとして簡単に出来る事なのか?何の躊躇もないのかと考えてしまう。そんな意味からもこのアプリ意味は理解するが、割り切れない気持ちがドコモでも残ってしまうのは自分だけであろうか?