大相撲八百長疑惑に思う

 先日の野球賭博事件より八百長疑惑が発覚した。
 何年か前の疑惑を疑惑無しとして処理してきたツケが今ここに出たものでもある。
 当初より疑惑無しとして処理するにはかなり無理だったのは事実である。
 そもそも八百長とは何時ごろからの事なのだろうか。
 その前に大相撲の現代社会への溶け込みを考えてみたい。私が知る限り、大相撲とは今ではお年寄りのスポーツ・娯楽の最大の歓心の1つであり、そして文化の一翼でもある。それがこの八百長疑惑により、その国技と言う文化が今消え去ろうとしている。国にしてみればこれは史上最大の損失である。
 
 我々団塊の世代は大相撲と一緒に育って来たと言っても過言では無い。テレビの普及と共に相撲人気を博した初代若ノ花と栃錦の栃若時代、柏戸大鵬の柏鵬時代、それに若くして死去った玉の島改め玉の海北の富士の北玉時代と本当に大相撲の醍醐味を見させてくれた黄金時代であった。
 それがおかしくなり始めたのは、昭和の50年代後半から、つまり横綱千代の富士九重部屋)の独走時代になってからである。その横綱千代の富士が優勝回数が大鵬の32回に迫った時に、千代の富士大鵬八百長で俺の記録を抜く気かと、言われたとか言われないとか、まことしやかに週刊誌で話題になったものである。どう言う訳か横綱千代の富士が優勝回数32回の目の前の31回の優勝で引退してしまった。余力があったにも拘わらずにである。真実はわからないが、常に八百長の火種はこの九重部屋の周辺にあり、私はその時からではないのかと自分だけで思っている。今回の関係者の中に八百長を認めた千代白鵬と言う力士がいる。もちろん九重部屋である。
 
 丁度力士の八百長は、建設業者の談合に似ている。表向きは潔白であるが、依然と裏で平然と行われているからである。こう言う疑惑はその業界では必要悪と言い、依然とはびこっていて、人間でありせばけっしてなくならない、日本古来の伝統でもあるのである。(笑)
 特に大相撲の場合は幕内と言うより、103万円の給料を貰える十両と1銭も貰えない幕下の力士に多い、これは職業としてみた場合にこの通り十両と幕下は天と地ほどの違いがある。だから十両の力士は降格を恐れ、幕下の力士は給料の貰える関取に躍起となる。ここに八百長の生まれる土壌が発生する訳だ。そればかりでは無い、幕内優勝に三賞と賞金や降格のない名誉の横綱やら、成績によっては金や協会に残れる親方株等の取得の条件が手に入る。これ正に金次第となるは当然の理なのである。
 
 思うに相撲協会は、私から見れば本当にガキの集まりのようである。
 物心も付かないまだ中学生のころから、相撲だけに明け暮れ、人間形成の時期さえも教わらずに、大きくなった力士に常識を求めるのは酷である。そう言う風に育った親方と言われる協会の幹部が、人間の何たるかを教える事は無理と言うものである。今回のメールの証拠も、それなりの人生生活の常道として考えれば、絶対犯してはならない、記録に残る方法をとったという事である。これ等は正に無知の何ものでも無い。これだけ見ても、非合法の八百長をどれだけ重大に認識してたかの、証と言えるのではないかと私は思っている。
 
 こう言う事件でもあるので、私は日本相撲協会を調べてみた。
 正式には財団法人(特例民法法人日本相撲協会となっていて公益法人の一種であり、国の文部科学省スポーツ・青少年局<競技スポーツ課>)の監視下にある。またこの監視下には日本サッカー協会日本体操協会や日本合気道協会等ほぼ全ての一般のスポーツが網羅されていて、プロアマを問わず日本相撲協会だけが特別視されている訳ではない。だからこそ国は厳正なる処分を行わなければならないのであろう。
 
 余談であるが、調べていて驚いた事がある。届出時より代表者の名前が変わっていないのである。つまり届出が大正年や、昭和年時の届出者の名前なのである。と言う事は一般に言う、年度決算等や代表者の変更の届けを義務付けていないのではと勘ぐられる。はたして国の監査行われているのだろうか。かなりの税金投入があっててである。それだけ公益法人は規制が緩いのだろうか。
 
 今正に歳入欠陥の折、歳出削減にやっきとなっている時期に私は国と官僚・役人の怠慢らしきものを見た気がしたのである。ここにもムダがある。