幻のオリンピックと石原東京都知事

 昨日2016年の東京オリンピックが招致合戦に破れ、それまでの膨大な150億円以上といわれる宣伝費が露と消えた。これは東京都でなければ出来ない事だったろう。破れはしたが不思議と落胆は感じなかった。1964年の東京オリンピックの感動がいまだ鮮明な半面また東京なのかと言う思いと、今はオリンピックどころじゃないと言う気分のせいかも知れない。
 この不況期にオリンピックを誘致する等と言う事の出来る都市は東京以外無いだろう。なにせ都税収入だけで約5兆円近くあり、歳入の7割強を占めている。こんな恵まれてる自治体は他にない。石原都知事にしてみれば損して得をとの思いだったと思われるが負けりゃ終わりだ。でも負けるリスクを考えても誘致出来る環境が羨ましい。確かにオリンピックは夢もあり経済効果も抜群だったろう。がしかしこの不況期にリスクを犯してまでやる事業なのか、どうしても石原都知事を私は理解出来ない。零細企業経営者の私はこう言う時はすぐ損得を考える質で、そんなお金があったら大田区の下町零細町工場を援助なんて考えちゃうのだ。
 夢と経済効果を本当に考えて東京オリンピックを誘致するんだったら、何故もっと都民だけでなく我々国民をも引き込み、用意周到に出来なかったのかはなはだ疑問に感じる。特にトップダウン方式の独裁知事のやる事はいつもそうだ。たまにはボトムアップ方式で考えりゃいいのにと思う。また五輪誘致だけに関して言えばその時だけ金にモノを言わしても駄目で、普段からのIOC委員との付き合い、そう、気持ちではなかろうか。ましてあの独裁知事が衆議院総選挙においてこき下ろした鳩山首相に直前に助けを求めるなんざ自分勝手といわざるを得ないと思った。私なんかオリンピックの招致は最近まで知らなかったのが本当だ。もっとも、私はオリンピックの招致は今は反対だった。何故なら、昨年にはアジアの北京で、その前はアメリカのアトランタとロサンゼルスで、そして20年足らずではスペインのバルセロナでと今回立候補してる4ケ国のうちで、誰が考えても一度も開かれていない、南半球のブラジルのリオデジャネイロしかないのは子供でも解かる事ではなかっただろうか。人間の常識の勝利だ。