報告書から改めて浮き彫りになったこの問題の本質は何か。
■問題の本質は官僚が裁量を持ち過ぎていることだ
本コラムで、筆者は9ヵ月ほど前から、森友問題の本質は財務省の地方組織である近畿財務局の事務上の失策であり、その背景は官僚に裁量を与え過ぎている現行の国有財産の処理の仕組みの問題だと指摘してきた。(2017.3.9付け「森友学園問題では資産売却に不熱心な財務省を追及すべきだ」)。
一方、加計学園では、文科省内の文書が外部に流出し、その内容があたかも真実のように報道されたことがそもそもの問題だ。筆者は加計学園の文科省文書の信憑性がないことを論じてきたし、結局、総理の関与は、その後の国会審議でも当事者らから否定された。
筆者は、この問題で、自民党の鴻池祥肇・元防災担当相の地元事務所が、籠池泰典理事長から、国有地払い下げの相談や報告を受けていたという事務所側の「陳情整理報告書」(「鴻池メモ」)が報じられた段階で、安倍首相などの関与がないことを確信した。
こうした個別案件の仲介で、複数の政治家が絡むことはまずないからだ。
■近畿財務局の失策異例のことが多過ぎる
それよりも本来、注目すべきは、森友学園への国有地払い下げであまりにも異例なことが多過ぎることだ。
これ以外にも、売却を前提にした定期借地契約や分割払いを認めたのも、同学園だけだったと、答弁した。
この点を捉えて、まだマスコミには、こうした特別扱いは「総理の関与」があったはずという論調が強い。
だが、これまで本コラムで書いたように「総理の関与」はなしである(当然、総理夫人や総理事務所の関与もない)。
その理由を、あらためて述べてみよう。
それについても、今回の会計検査院報告書の時系列表(右図)が大いに役に立つ。
この中で、2015年(平成27年)11月頃とされる内閣総務官室職員からの照会とされているところに注目したい。
しかし、異例の措置といわれる、10年以内の売却を約束した定期借地契約の締結や「金額非公表」などは、これより前に行われている。金額非公表の決定がいつ行われたのかはわからないが、遅くとも2015年(平成27年)5月までであろう。
ということは、「総理の関与」がなかったことを示している。
■ごみの存在を知りながら売却を模索していた?
さらに、この時系列をたどっていくと、奇妙なことがわかる。
これから考えると、2013年6月から近畿財務局が、ゴミの存在を知りながら十分に説明せずに国有地の売却を模索していたと考えざるを得ない。
今、考えれば、最初からゴミの存在をきちんと知らせた上で、「入札」にしておけばよかった案件だ。
「入札」でなく、「随意契約」にしたものだから、ゴミのことをきちんと言わなかった近畿財務局のほうに相当な落ち度があったといわざるを得ない。
その結果、籠池氏の要求に従う形で、異例な取り扱いが行われたのではないか。
これが、払い下げの経緯を時系列から見て、筆者なりに推測する「真相」だ。
籠池氏に売却された国有地は、それ以前に豊中市に売却された国有地と一筆の土地になっており、いずれも大量のゴミ投棄場所になっていたことは周辺住民には周知の事実だった。
にもかかわらず、マスコミと野党は総理などの関与に固執して、この問題の本質を解明する時間を浪費した。
中でも籠池氏の小学校が、安倍首相の名を付けようとしていたと、マスコミ報道や野党は追及していたが、これは事実無根だったことが最近、わかっている。
自民党の和田正宗参議院議員が、11月22日のツイッターで、『森友の小学校設立に際し設立趣意書に籠池氏が「安倍晋三記念小学校」と記載したと話してきたが、全くの嘘だと判明』としている。このことを、朝日新聞は認めている。
■裁量残した再発防止策は不十分「虚偽答弁」などは処分を
財務省は、今後の対策として、公共性の高い随意契約では売却価格をすべて公表したり、例外的な売却価格は第三者がチェックしたりして、合理的な価格算定をし、手続きを事後的に検証できるように文書の保存での見直しをするという。
だがこれでは、官僚に裁量を与えたままにするという肝心のところは、スルー、つまり、手を付けないままにされてしまっている。
財務官僚の国会答弁にあった「法令に基づくもの」の「法令」というのは、法律ではなく、官僚が事実上、決められる政令や省令などが含まれている。
このままで、国会はいいのだろうか。
そして、公共的な国有地売却について入札を使わない現行制度を見直すつもりもないようだ。これでは国有地売却で再び問題が発生するだろう。
今回、問題になった「保存期間1年未満」という規定は、もともと紙ベースの資料の時代の名残だ。今の電子化では1年などの期間の限定が合理的であるはずがない。
こうした点についても、国会やマスコミはもっと追及をしてもらいたい。
それとともに、政府も、国会での虚偽答弁や現行法令内での懈怠行為などは言語道断なので、関係者の処分をきちんとすべきだろう。
特に、払い下げの経緯や交渉の内容を記した資料などの公開を求められた際の、財務省の佐川宣寿・理財局長(当時)の答弁は酷かった。
4月3日の衆院決算行政監視委員会では、「パソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にも残っていないということでございます」と答弁した。
しかしこれは、答弁を聞いているだけでもわかる「ウソ」で、筆者もツイッターなどですぐ指摘した。
少しでも経験した人であれば、このようなシステムは運用コストの割が合わないことを知っているだろう。HDD(ハードディスク)の容量に制限があれば、いっぱいになった段階で古いものに上書きしていくだけだ。これは、HDDへのテレビ録画を見れば素人でもわかる話だ。
つまり、HDD上で自動的に消去するシステムを作ることはできるが、そんな間抜けなシステムを設計する人はまずいないのだ。
もちろん、この国会答弁はウソとバレたので、後日、財務省は訂正している。これだけでも、虚偽答弁であり、メディアが強く追及していれば、局長の進退問題になったはずだ。
元役人でありながら上司である権力者と部下である役人の関係の特性をまるで解らない唐変木と言わざるを得ない。私はこんな考え方しかしないこの方をこのブログで何度も批判して来た(ヤメ官4人組=高橋洋一、八幡和郎、古賀茂明、岸 博幸=但し古賀さんだけはこの方々とは違う)。よく考えれば少なくとも彼もその批判する役人の一員だった筈なのにとも言いたい。も少し自分の過去を誇る気持ちは無いのかとも言いたい。その職場の中でその仲間の苦しみさえも解らなかったのかとも言いたい。正直言って私はこの世で一番嫌いなタイプである。
初めに、上記記事の一番最後の
>その意味で、その時期にもなお「総理の意向」にこだわったマスコミや野党の「的外れ」を一番、喜んだのは、財務(近畿財務局)官僚だろう。
と言うフレーズではこんなバカな先輩がいたと言う事の方が恥ずかしい!と現職官僚の嘆きが聞こえて来ると私は思った。
この森友学園と加計学園問題の本質は一言で言って宰相とその下で働く官僚・役人の関係がもたらした必然の出来事と言え、それが疑われる事を最初から断ち切る事をしなかった宰相の最大責任と断定する。私は上記記事を見て確信を持ったと言える。
まず初めに数十年(地方の役人たち=国家公務員の出先も入る=が公務員と言う本質は変わらないと思ってる)の役人との付き合いの中で私が公務員と言う特性を断じた言葉を紹介したい
「公務員とは与えられた仕事は忠実にこなし、決して前例を作らず、前例を踏襲し、責任と言う言葉に異常に反応し、その回避には天文学的才能を発揮する人種である。」 これが役人の特性と思っているし、「森友学園と加計学園問題」は正にこれを地で言った事と、証拠はないが、安倍さんは軽くではあるが「よろしく」と役人には言ってると思ってる。証拠はないが、これは神代からの権力者の常套文句だと言って良い。これは確信できる。この後は正に世間で言う「忖度」の何物でもない。役人は頼まれなければ絶対しないものである。頼まれない「忖度」は役人全員には存在しない。何故ならやって良いか悪いかの判断が付きまとうからである。そんな事考えればかなり気を遣い、神経が参っちゃうからである。これを考えればこの高橋洋一さんとは全く判断は180°違う。
私が何度も言ってるが、日本国宰相にあるうちは、交友関係は自ら律する気持ちが最優先であるべきと言う考えである。それについては安倍首相の最大の落ち度であるし、相反関係にある相手とは、国の制度に関係する時期に絡めば交友関係は断ち切るべきだったと言うのが私の意見であり考えである。そう言う関係にある人とゴルフに興ずるなんて安倍さんバカじゃないかと思う。それもだが閣僚には法に絡む関係人との交流を禁止してる言うに、宰相自らそれをやってるとは法律違反そのものである。それを何とも感ぜずと言うより国民をなめ切ってる。我々の地方の田舎町の僅かの人口しかいない村長さんだってあらぬ疑いをかけられぬよう、その職にある時にはその交友を断ち切ると言うに、この安倍さんそれも解らなかったとすれば、人間的にも最低と言う事になる。それ以上に安倍さんの側近の程度も解ろうと言うものだ。だからこそ国民の気持ちが解らないから、傲慢と映るのだろう。全ては自業自得と言える。