安倍首相は東日本大震災に関し「東北で良かった」と発言した今村復興相を即刻クビにした これを考えた菅官房同じ境遇に陥るは必定だ!

 首相・安倍晋三は、東日本大震災に関し「東北で良かった」と発言した今村雅弘を即刻、更迭した。幹事長・二階俊博は「いきなりですよ、いきなり」と言って不満たらたら。しかし、発言からわずか4時間で公認決定までいたったスピーディな危機管理に、長期政権を維持する秘訣が隠されている。
 
■発言から1時間後に更迭決断
 今村は、ホテルニューオータニで開かれた二階派のパーティーで講演し、「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、甚大な被害があったと思う」と発言した。これが425日午後520分ごろだった。
 この時間、首相官邸では、安倍や官房長官菅義偉も出席して経済財政諮問会議が開かれていた。諮問会議は午後518分から同67分まで開かれ、安倍や菅はこの会議の終了直後に、今村発言を知った。菅の元に、首席首相秘書官・今井尚哉から「至急、総理と会いたい」との連絡が入った。
 安倍、菅、今井による協議が始まったのは午後610分ごろ。安倍は二階派パーティー出席のため、同631分に官邸を離れている。この約20分の協議で、今村の更迭と、後任に吉野正芳を充てることが決まった。
 安倍ら三人はすぐに「これは持たない」との認識で一致した。この共通認識に立って、安倍が予定通りこのパーティーに出席するかどうか、出席した場合、どんな発言をするべきか、が話し合われ、安倍が出席し、謝るという結論に達した。
 そして午後640分ごろ、登壇した安倍はあいさつの冒頭、次のように語った。
 「東北の方々を傷付ける極めて不適切な発言があった。総理大臣として、まずもってお詫びさせていただきたい」
 安倍に先立ち、あいさつした二階は今村の失言にまったく触れなかった。二階は今村の講演を聞いていたのに、失言に気付いていなかった。今村の発言を問題になると感じるかどうかは、政治家としての判断力、世論に対する感度の分水嶺と言える。
 一方、今村本人は午後6時すぎ、記者団の前に現れ、発言の真意を説明した。途中、秘書官からメモを見せられると、慌てて謝罪し、発言を撤回した。
 このメモについて、官邸からの指示という見方がある。しかし、この段階で官邸はまだ方針を決めていない。講演会場にいた党役員か、秘書官自身が今村に忠告したとみられる。
 今村の釈明を聞いて、菅が動いた。菅は午後7時ごろ、今村に電話し、こう叱責した。
 「はっきりと謝ってください。あんな謝り方では全然ダメです」
 これを受けて、今村は午後720分ごろ、2度目のぶら下がりインタビューを行い、こう語った。
 「先ほどの講演の中で私の大変不適切な発言、表現といったものにつきまして、深く反省し、皆様方におわびを申し上げます。申し訳ありませんでした」
 ただ、今村は辞任の可能性を聞かれると、「いや、そこまでまだ及んでおりません」と否定した。この時間も辞任の意思を固めていなかった。
 
民主党政権との決定的違い
 菅は今村に電話した後、二階側近の幹事長代理・林幹雄に電話し、「状況は厳しい」として今村の辞任を促し、二階に伝えるように求めた。二階派のパーティーだったので、二階に電話するのを遠慮した。これを受けて、パーティーが終了した後、午後7時半すぎから二階や林らがニューオータニで集まり、協議した結果、辞任やむなしの結論をくだした。この決定は、内閣府の大臣室で待機していた今村に伝えられた。
 菅が午後9時ごろ、今村と会った段階では今村は辞表をしたためていた。そこでは、受け取らず、翌日、安倍に提出するように求めた。この会談後、安倍は午後920分前後に吉野に電話し、復興相就任を要請した。
 今村が失言した午後520分ごろからわずか4時間で、更迭と後任人事がすべて決着したのだった。吉野の身体検査については、今井が安倍、菅との3者会談終了後から安倍が要請するまでの間に済ませた。
 閣僚の更迭について、民主党政権時代を振り返ってみよう。菅政権下の20101114日、当時の法相・柳田稔が地元・広島での大臣就任祝賀パーティーでこう述べた。
 「法相は二つ(国会答弁を)覚えておけばいい。『個別事案については答えを差し控える』『法と証拠に基づき適切にやっている』だ」
 この発言も、今村と同じく「一発でアウト」の発言だ。しかし、当時の首相・菅直人官房長官仙谷由人が辞任を求め、柳田が辞任したのは発言から8日後の同22日だった。しかも、後任をすぐに決められず、仙谷が法相を兼務。後任に江田五月が決まったのは翌年の11114日の菅第2改造内閣発足時だった。
 わずか4時間と、後任決定まで62日間を要した、この違いが、安倍政権と菅政権の危機管理能力の差を示している。政権が受けるダメージを、安倍が即決することで最小限に抑え、菅直人は最大化した。民主党民進党に看板を書き換え、蓮舫を代表に据えても、なお政党支持率が上がらないのは、多くの国民が「あの民主党政権よりもまし」と思っているからではないか。(敬称略) 田崎 史郎
 
 
これ『「菅義偉」と「菅直人」危機管理能力の決定的差異はここにあった 今村復興大臣更迭の全舞台裏』と題した現代ビジネス 5/4() 8:01の配信記事である。
 
 
確かにこの記事を書いた田崎史郎さんの言う通りかも知れない。危機管理能力の差と言いたいのだろうが、私はチョット違う。第一普通の人間であれば今村復興相の発言は問題視はしない。彼は東北に震災が来てよかったとは思ってはいないし、言ってない。。言葉の話し方や時の状況時の一種の言い回しと言えなくもない。どこの世界に震災が来てよかったと思う人間等いるのか? 見方によっては震災地への冒涜と思った者が居たと言う事だろう。大臣を選任したのは確かに安倍内閣総理大臣だ。だから物と同様に即刻挿げ替え?それも権力の内だろうが、多分にこの復興相の言葉を問題にしたのは、官邸が先に動いたからマスコミが追従した形になっている。私にはこの発言が、危機管理能力の称賛を決定づけるために、わざとマスコミを利用し、そのマスコミがその片棒を担いだと思ってる。さすがに安倍政権の御用組合らしいマスコミのやり方である。考えるにこれは安倍と言うより菅官房のやりそうな事である。彼を良く知る者としてみれば全く実父と同じやり方である。だからこそ自民の中を泳いで今の権力の座を射止めたのだろう。だが私は思う。こう言うやり方はいづれは自己の身に降りかかり、同じ境遇に自分も陥る事は過去に見る通りである。