集団的自衛権の行使容認の大学生へのアンケートに「わからない」がトップを占めた事に思う

首都圏大学生500人にアンケート調査を実施
 
集団的自衛権の行使容認が、7月1日に閣議決定される見通しだ。政党や各界組織・団体からの賛否の別れる主張は言うまでもなく、各種メディアからの世論調査も発表されているが、調査方法や媒体の特性によっても、その結果は二極化している。
 
その賛否はどうであれ、実際の国民生活への影響や日本の将来への関わりなどでの不安は小さくない。特に、将来を担い、現在の決定による将来的な影響を大きくなることになる現在の10代後半から20代前半の大学生たちは、集団的自衛権の行使容認に対して、どのような思いを抱いているのだろうか?
 
先の平成25年度・参議院選挙でも20代の投票率は33.37%。40代(51.66%)、50代(61.77%)と比べ大きな開きがあり、若者層の意思を選挙で見ることは難しいというのが現実だ。
 
そんな中、東洋大学総合情報学部の藤本貴之研究室が首都圏の大学生505人を対象としたアンケート調査を実施した。「集団的自衛権の行使容認」に対して、「賛成」「反対」「よくわからない」の三択式で、首都圏の大学生505人を対象に行われた今回の調査。
 
大学生たちは集団的自衛権の行使容認をどのように考えているのだろうか。
.
「賛成28.3%」「反対31.3%」「よくわからない40.4%」
 
結果は以下の通り、「賛成28.3%」「反対31.3%」となったのに対し、「よくわからない」が「40.4%」と最大の回答数となった。
 
 <有効回答人数>大学生 505人
  <賛成>143人(28.3%)
  <反対>158人(31.3%)
  <よく分からない>204人(40.4%)
 
調査を実施した藤本貴之東洋大学准教授(メディア論)は次の様に語る。
 
 「賛成と反対の差は3%と僅差で反対となっているが、『よくわからない』の圧倒的な数を考えても、賛否は誤差の範囲。世間の議論の高まりとは裏腹に、実際の影響を被るであろう大学生層の集団的自衛権に関する関心や理解は低いと言えるのではないか。」
年齢別(18歳・19歳・20歳・21歳以上)による結果
 
年齢別による結果は以下。
 
 <18歳>152人「賛成23.0%」「反対35.5%」「よくわからない41.5%」
  <19歳>193人「賛成29.0%」「反対29.5%」「よくわからない41.5%」
  <20歳>103人「賛成32.0%」「反対24.3%」「よくわからない43.7%」
  <21歳以上>57人「賛成33.3%」「反対38.6%」「よくわからない28.1%」
 
21歳以上では、「よくわからない」が減ったものの、それでも30%近い。18歳から20歳までの年代ではいづれも「よくわからない」が40%を超えた。
 
藤本准教授は言う。
 
「大学生を対象にした505人という、まとまった人数の今回の調査。三択式の単純な調査であるからこそ、若者のリアルな意識を知るための参考になるのではないか。偏ったイデオロギーによる活動や報道を目にすることは多いが、『よくわからない』が大学生の感覚の実態のひとつであることを知ってほしい」Japan In-Depth編集部

これ「<集団的自衛権行使の賛否>首都圏大学生500人に調査 「よくわからない」が4割という実態」とのJapan In-Depth 6月29日(日)7時30分の配信記事である。

 驚くべき結果である。少なくとも今後の日本を担うだろう最先端にいる大学生がである。自国の将来を左右するかもしれない大事のこの「集団的自衛権の行使容認」の是非の問いかけに、良く解らないとは恐れ入ったものである。この真意がどう言う状況時での問いかけかは解らないが、三択式の単純な調査であるからこそ、「わからない」と答える大学生の真意が計りしれない。もしも、これが興味が無くての答えだったとしたら、いや、多分にその通りであるとしたなら、現世の政治の怠慢が透けて見えると同時に、何事にも無気力無関心の若者の世情感が納得も出来るのである。
 私は常々政治の暴挙を静観する知識階級の代表となり得る大学生を非難して来た。私事で悪いが我々の学生時代は、学生運動が盛んであった。それは一種の若者の感情のはけ口のお祭り的行動を差し引いても、現状への不満を直情的に表したのは事実であった。それが安保闘争であり、東大紛争でもあったのである。
 しかし、半ば政治に参加できる資格が無いような大学生であっても、このように政治への不満を態度で表したのであった。ところが今はどうだ、本当に立憲主義国我が日本国の最大の戦争の放棄の根幹のこの憲法9条に、戦後の誰もがそれなりの敬いを持ったこの法に正面から戦いを挑んだ、この「集団的自衛権の行使容認」に対し今の大学生が、例えどんな事情であろうとも、自己主張さえ出来ずに無関心の大学生を見る時、私は現在の日本の現状を飢える、以前に情けなく落胆以上の思いを感じた。さもありなん事は前より感じていた。過日に上京した折の国電の中での大学生らしき者の漫画見とくだらない前夜のバラエティ番組の話題を聞くに、幻滅を感じていたからである。情けない気持ちを通り越し、私は怒りを感じてその者たちの顔をおもわず見たのである。これがあの戦後の荒廃した日本を列国への追いつけ追い越せの向上心を持って働いた、我々の世代の大学生との違いかと正直我を疑うほどだった。これも豊かになった産物の表れかと思うと、何かむなしさだけが残ったように感じた。