「飯島訪朝」は国益に適っていない、皆、己の名声の手段としてのみである

 「飯島君、やったな」。元首相の小泉純一郎は身を乗り出した。元秘書で内閣官房参与飯島勲北朝鮮訪問を知った瞬間だ。訪朝の成否はベールに包まれているが、「変人宰相」は、元腹心は勝算なしには動かないはずだ、と直感する。その理由を探るには、小泉の2度の訪朝を再検証しなければならない。
 
北朝鮮、首相特使扱いの対応
 「日朝政府間交渉の再開などが色々評論されているが、私からみると事実上、事務的協議は全部終わった。後は安倍晋三首相と菅義偉官房長官の判断だ」
 「飯島再訪朝は100%ない。任務はすべて終わった。老いた血の叫びは終わりだ」
 飯島は安倍に訪朝の詳細を報告し、記者団にこう断片的に漏らした後、24日から再び出国した。「ベトナムを訪ねるが、他国にも立ち寄る。帰国するのは31日だ」と言い残したという。
 訪朝で飯島は北朝鮮序列2位で最高人民会議常任委員長の金永南キム・ヨンナム)、対日関係の窓口である朝鮮労働党書記の金永日キム・ヨンイル)と会談。朝日国交正常化担当大使の宋日昊ソン・イルホ)とも複数回の実務者協議に臨んだ。東京から朝鮮語の通訳兼記録係を随行させており、詳しい議事録を安倍と菅に届けている。
 飯島が平壌で宿泊した「百花園招待所」は限られた元首級の賓客を接遇する施設とされる。小泉も訪朝時に使ったが、建て直して新しくなっているという。金永南が応対した点も含め、首相特使扱いだ。「日本政府の意向が最高指導者の金正恩第1書記に伝わるよう努力した」。安倍は24日、公明党代表山口那津男にこう手応えを打ち明けた。
 「事務的協議は終わった」などの飯島の言も併せると、今後の日朝の駆け引きは日本人拉致事件を打開するための安倍と金正恩による首脳会談を見据えて展開する、とみられている。飯島は23日、官邸を訪れた駐日米公使のロバート・ルークに「日朝関係が一歩動く時は、米朝対話が三歩先まで進んでいてほしい」と核・ミサイル問題での日米協調への配慮もにじませた。
 海千山千の北朝鮮を相手に外交官でも国会議員でもない飯島を使者に立てた安倍の思惑が当たるかどうかは未知数だが、官邸関係者は「夏の参院選には関係ない。日朝打開の照準を合わせるのは秋だ」と漏らす。
 ここで時計の針を巻き戻す。小泉が電撃訪朝したのは2002年9月17日だ。北朝鮮は日本人拉致を認めて「5人生存、8人死亡」と通告し、衝撃が走った。小泉と北朝鮮の最高指導者で総書記の金正日は国交正常化を目指す日朝平壌宣言に署名した。外務省アジア大洋州局長だった田中均が小泉の指示で金側近の「ミスターX」と極秘交渉を重ねて訪朝を実現したとされる。
 
■福田氏と外務省を外した再訪朝
 田中を強力に支えたのは官房長官福田康夫だった。小泉と福田は対北朝鮮強硬派と目された官房副長官の安倍には極秘交渉を知らせなかった。訪朝に随行した安倍は田中の交渉姿勢が融和的過ぎるとの批判を隠さなくなる。それに同調したのが福田と反りが合わなかった飯島だ。小泉訪朝に世論も割れた中で政権中枢は「福田・田中vs安倍・飯島」の確執にきしんだ。
 小泉は生存者5人を帰国させたものの、その子どもらは北朝鮮に残ったままだった。04年4月、小泉は福田と田中を首相執務室に呼んだ。「再訪朝を受け入れるという話が来た。詳細を詰めてくれ」との突然の指示。寝耳に水の福田は「こんな話はおかしい。いったい、誰を通じて交渉しているのか」と血相を変えた。田中の「ミスターX」ルートではなかったからだ。
 「再訪朝は撤回してくれ」と詰め寄る福田に、小泉は「進めてほしい」と譲らない。福田が「誰のルートなのか」と食い下がっても、小泉は明かさなかった。田中らが北京に飛び、日朝実務者協議で再訪朝が固まった直後の5月7日。福田は自らの国民年金保険料の未納問題を理由に辞任した。小泉が賛否両論の渦中で再訪朝し、子ども5人を連れて帰ったのは同22日だ。

日朝関係の流れ 2002/9/17 小泉純一郎首相が初の訪朝。金正日総書記と日朝平壌宣言に署名。拉致被害者のうち「8人死亡、5人生存」と北朝鮮側から伝達
10/15 拉致被害者5人が帰国
2003/8/27~29 核問題を巡る6カ国協議の初会合(北京)
2004/5/22 小泉首相が再訪朝。拉致被害者の蓮池、地村両夫妻の子ども5人が帰国
7/18 拉致被害者曽我ひとみさんの夫ジェンキンズさんと娘2人が日本へ
2005/9/13~19 6カ国協議北朝鮮の核放棄などを盛り込んだ共同声明を発表
2006/10/9 北朝鮮が初の地下核実験
2008/6/11~12 日朝実務者協議(北京)で北朝鮮側が拉致事件の再調査を約束。9月に福田康夫首相の退陣で再調査開始の見合わせを通告
2009/5/25 北朝鮮が2度目の地下核実験
2011/12/17 金正日総書記が死去
2012/4/11 金正恩第1書記が就任
2012/11/15~16 日朝政府間協議(ウランバートル)で協議継続で一致。その後の北朝鮮のミサイル発射で中断
2013/2/12 北朝鮮が3度目の地下核実験

 この頃、安倍は自民党幹事長に転じていたが、飯島と田中は小泉再訪朝にも随行した。というより、水面下で再訪朝の道筋をつけたのは飯島だったのである。折り合いの悪い飯島が自分と外務省を外した独自ルートで仕掛け、小泉もそれに乗った。その事実を察知して福田は官邸を去ったのだ。飯島がどんなルートで動いたのかは当時も、今回も明らかになっていない。
 
金正日氏死去時には弔電も
 因縁は続く。小泉が事実上、後継首相に指名した安倍は07年9月に健康上の理由で政権を投げ出した。福田が自民党総裁選に名乗りを上げると、小泉は支持を表明した。今度は反福田で別の動きをしていた飯島が「政治判断の違い」を理由に小泉事務所を退職したのである。福田は08年8月の日朝実務者協議で北朝鮮拉致事件の再調査を約束させたが、直後に退陣した。
 小泉はその後も日朝関係と無縁ではない。11年12月に金正日が死去すると「心から哀悼の意を表す。諸般の懸案が包括的に解決し、日朝関係が正常化することを期待する」との弔電を朝鮮労働党中央委員会に送った。これを「日本人は礼節を重んじることを示してよかった。北朝鮮が政策を変える場合、小泉氏ルートから話をすることもあり得る」と評価したのが安倍だ。
 雌伏5年、再登板を果たした安倍はかつての「戦友」飯島を参与に招いた。飯島は04年に小泉再訪朝を実現した独自ルートを再起動させ、北朝鮮もそこを糸口に日本との駆け引きに動く。安倍も北朝鮮指導部も飯島の背後に小泉のカゲを意識しながらの神経戦だ。かつての主従が顔を合わせることはほとんどないが、小泉のエールはあうんの呼吸を物語っている。=敬称略
 
 
『「飯島訪朝」を評価した小泉元首相の直感 』と題した日経新聞編集委員の清水真人氏の記事である。
 
 
 私はこの記事を見て、今更ながら全ての国会議員がこの北朝鮮拉致問題を国益として捉え、本当に真剣に解決しようとしてない姿をまじまじと見た。言葉を変え、例えて悪いが、私は歯科医院の予約診療を思い出した。拉致問題と歯科診療、何の関係も無いが、歯の治療、その患者の歯を本当に直すんだったら、その患者を1日か3,4日拘束して、さっさと直せば同じなのに、わざわざ良いカッコして5分治療/日で短くて2,3ヶ月、長ければ1,2年もかけている。そんな事せずに本当に患者の事思ったら、1週間で5,6人サイクルで回してもらったほうがなんぼ患者も助かるか。つまり私が言いたいのは、本当にその対象者を真剣に考えていないと言いたいのである。国会議員は真剣にやれば少なくともいくらかでも、前進するのに、自分の都合を考え、自分を高く売れる時期を考えながらやってるとしか見えない。それとその努力が直ぐ現れないものには、決して腰を上げない。そう言う姿が国民から信頼されない本当の理由である。また特に若い世代から、国会議員と言う職の重さを敬いも持ってもらえない原因でもある。
 政治の責任は重大である。北朝鮮拉致問題外交問題等では決して無い。これは国際犯罪であるからである。もう少し日本国の国民の代議員としての自覚を持ち、国民から敬われる存在にとは考えないのだろうか。情けない人種である。