天下りそのものよりも天下って成す事の弊害

 天下りとは何ぞや。
 
 退職した高級官僚の役人が、出身官庁が所管する団体や関連する民間企業や独立行政法人国立大学法人特殊法人・公社・公団・団体などに就職斡旋する事を指して批判的に用いられる。とでも言えようか。
 
 それで黙ってでもいてくれれば何の事無いのだが、それでは天下った意味が無く、受け入れた方の受益に結びつか無くなるから、だから黙って居られないのである。
 私が黙って居てくれた方がと言うのには意味がある。やはり権限が及ぶところにチョッカイを出すからである。
 
 我々民間人はどうしても法律に弱い立場である。その法律はどうして出来るかと言えば、3権分立の国民主権の象徴である、国会が決める。国会議員が決めるのである。だからこそ国民主権と言われる所以であるが、確かに理屈ではそのようになってはいるが、その国会議員がここ何年か見ての通りである。だからこそそこに官僚・役人の存在があるのである。事実国会は所謂「政治主導」では無くて、現在は正に「官僚主導」に陥ってしまっているのだ。現在我々民間社会のルールは何も法律だけでは無くて、憲法法律をはじめとし、政令、省令、条例、規則など多数に渡るのである。それらの特徴や意味を列挙すれば下記のようになろうか。
 
憲法は日本の中で一番強いルール。法律も政令も全ての国内ルールは、憲法に違反できない。
②条約は国と国、国際機関などの約束。条約だけでは国内で通用しないので、同じ内容のものを法律として作る必要がある。
③法律は国会で決められた国のルール。強制力を持たせるために罰則を決めることができる。刑法は、犯罪を犯した人の罰を決めたルールブック。
政令閣議で決められた国のルール。法律をさらに細かく定めたもの。政令は、法律の範囲内でしか決められない。
⑤省令は省の担当大臣が決めた国のルール。法律や政令の実行に際する細かいルールが定められている。省令は、法律と政令の範囲内でしか決められない。
⑥訓令は各省庁から下部組織に出す命令。
⑦要綱は役所の内部ルール。各省庁の担当課で作る。省令にするほど重要でないものを要綱で定める。
⑧条例は地方議会で決められたルール。法律の範囲内でしか決められない。
 
 以上が詳細のルールなのである。
 ここからが本題に入る訳だが、皆さんは、色んな商売、色んな団体において、色んな規制があるのをご存知と思う。例えば医療に於いては、病院のベッド数における医師の数あるいは看護師の数、介護に於いては、ケアマネの数、看護師や介護士や療法士の数、介護施設もそれなりの資格者の数がキッチリと決められており、1人欠けても許可にはならない。また人員の数だけでは無く、広さや条件等厳しいくらいの規制である。
 普通の商売をしようとして、会社等立ち上げようとしても、会社法や登記法は普通でも、その商売の管理者等の条件の規制が多過ぎるのである。これは何故か。これこそ私が指摘したい肝心のポイントなのである。簡単に言えば、これらの細かい規制は、前記したように、条例や規則で規制出来、その管理者等の資格や登録はたまた、その有効年数等法や規則を作り、いくらでも規制の網掛けが出来るのである。良い例が運転免許証である。3年と5年の更新であり、所によっては、安全運転者協会等があり、その会費や免許証に貼る写真やその免許証台紙また免許の更新費用や講習費用、これ等全て警察官の天下りだけの協会とも言え、全ての費用がそこを窓口としている。世の商売全てである。官僚・役人たちを養うために、我々は知らないうちにそう言う天下り団体に金を払うようになっているのであり-、そうされているのである。彼らは上手く条例や規則を作って、ある意味ネズミ講の如くに国民にたかっているのである。法や条例等は今の政治家を操って官僚・役人の思うがままなのである。これこそ自制させれば、かなりの金が浮く筈なのである。まっ!それだけ政治に身を置いている人間は、官僚・役人よりも頭が悪いから官僚・役人に良い様にあしらわれているのである。だから天下りは政治に身を置いている者がだらしないから、起こったのであると言って良いのである。
 
 究極的結論に至っては、現在叫ばれている規制の緩和は即天下りそのものを無くす事こそその結論に至る事である。そして何故に今この事を記事にするかと言えば、私がいまもって会社の経営の先頭に立ってての、余りにも多い行政への届出及び諸々の更新に辟易してるからである。