野田佳彦首相が、また内閣支持率を低下させた。1日に3度目となる内閣改造に踏み切り、政権基盤の強化を図ったにもかかわらずだ。改造直後の支持率減は13年ぶり。あまりの不人気に、民主党内は「解散、反対」の大合唱だ。それどころか、「4人目」の首相を選んで、何とか延命を図ろうという声も出始めた。(坂井広志) 「そういう結果が出たならしようがない…」
輿石東(こしいし・あずま)幹事長は8日、産経新聞社とFNNの合同世論調査結果を受け、多くを語ろうとしなかった。
田中慶秋法相の外国人献金問題、歯止めがかからない離党、開会されない臨時国会…。状況が好転する要素が一つもない中、支持率低下はむしろ必然だった。
改造の目玉人事だった田中真紀子文部科学相は、55・6%の人が「評価しない」。「選挙の顔」として期待される細野豪志氏の党政調会長への登用も「評価しない」が50・9%と過半数を占め、「評価する」は33・1%にとどまった。
改造や党役員人事は明らかに失敗。支持率好転を期待するほうがおかしい-。党内にはそんな諦めの空気が蔓延(まんえん)している。
それよりも何よりも、自分たちの将来が心配だ。民主党の衆院での議席は、離党届を提出した杉本和巳氏が離脱すると243議席。あと8人の離党で、国民新党(3議席)と合わせても過半数(239議席)を割り込む。内閣不信任決議案が可決されれば、首相は総辞職か解散の判断を迫られる。今、解散すれば多くの民主党議員が議席を失うことになるだろう。
そこで、党内でひそかに期待されているのが、野田首相の自発的退陣だ。そして新代表・新首相を選び、あわよくばそのご祝儀相場で、何とか民主党と内閣の支持率を回復させようという作戦だ。
首相は消費税増税法が成立して以降、目標を見失いつつある。そんな首相に求心力が回復するはずもない。党幹部は「命がけで取り組む政策がないなら早く退場しろ」と言い放つ。
一方で参院民主党には「衆参同日選だと衆院とともにボロ負けする」(中堅)との危機感もある。見えてくるのは、年末の平成25年度予算編成を区切りに総辞職というシナリオだ。
「4人目」には世論の批判は避けられない。それでも、民主党の生き残りには、この奇策しかないのかもしれない。
輿石東(こしいし・あずま)幹事長は8日、産経新聞社とFNNの合同世論調査結果を受け、多くを語ろうとしなかった。
田中慶秋法相の外国人献金問題、歯止めがかからない離党、開会されない臨時国会…。状況が好転する要素が一つもない中、支持率低下はむしろ必然だった。
改造の目玉人事だった田中真紀子文部科学相は、55・6%の人が「評価しない」。「選挙の顔」として期待される細野豪志氏の党政調会長への登用も「評価しない」が50・9%と過半数を占め、「評価する」は33・1%にとどまった。
改造や党役員人事は明らかに失敗。支持率好転を期待するほうがおかしい-。党内にはそんな諦めの空気が蔓延(まんえん)している。
それよりも何よりも、自分たちの将来が心配だ。民主党の衆院での議席は、離党届を提出した杉本和巳氏が離脱すると243議席。あと8人の離党で、国民新党(3議席)と合わせても過半数(239議席)を割り込む。内閣不信任決議案が可決されれば、首相は総辞職か解散の判断を迫られる。今、解散すれば多くの民主党議員が議席を失うことになるだろう。
そこで、党内でひそかに期待されているのが、野田首相の自発的退陣だ。そして新代表・新首相を選び、あわよくばそのご祝儀相場で、何とか民主党と内閣の支持率を回復させようという作戦だ。
首相は消費税増税法が成立して以降、目標を見失いつつある。そんな首相に求心力が回復するはずもない。党幹部は「命がけで取り組む政策がないなら早く退場しろ」と言い放つ。
一方で参院民主党には「衆参同日選だと衆院とともにボロ負けする」(中堅)との危機感もある。見えてくるのは、年末の平成25年度予算編成を区切りに総辞職というシナリオだ。
「4人目」には世論の批判は避けられない。それでも、民主党の生き残りには、この奇策しかないのかもしれない。
産経新聞の報道である。
もう今の状態を見るに民主党はもう政党の体をなしていない。タダタダ自己の保身のみの集団に成り下がってしまった。かっての自民党でもここまではしなかった。完全に野田首相の政権運営の失敗である。例え何をやっても、謙虚な気持ちさえあったら、国民もいくらかは理解をしたろうに・・・・・・。
これは消費税増税と言う政策で国民のほっぺたを引っ叩いたと同じ完全なる開き直りに近い仕打ちである。私は野田首相が、確かに財務省や、財務省OBの藤井裕久政府税制会長に丸め込まれた事は確かとは思っているが、心底の気持ちだったのかと思う気持ちも無いでは無かった。識者の内でも、デフレ時の増税はダブルのボデーブローになると言う主張もあった事に、それへの懸念も抱かなかったとは思いたくないからである。振り上げた拳を降ろせなくての気持ちも無かったのか。そしてこれだけ叩かれても、顔色1つさえ変えず、平気で居られる神経の図太さ、ある意味立派と言えなくも無い。しかし、政治家と言う者、時には後ろを振り返り、国民に詫びてやり直す事も必要ではないのか。注目の「日本維新の会」の足踏み、ひいてはやり直す事も野田政権の新しい指標となり得る話ではある。