政治に見る信義則

 この度の政府の消費増税法案提出と採決に見る信義則を考えてみた。
 
 そもそも信義則とは何ぞや。
 これを調べてみると正式には信義誠実の原則と言うし、民法の第1条2項に次の様に書いてある。
 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。とある。
 つまりは人間共同生活においては基本原則となっていて、現代には当り前に守らなければならない常識ともなっているのである。何か昔はそんな法律なんて無かったから、特に大切にされたらしい。江戸時代以前の武士道に通じるとも言われている。
法とか書いたものに無いからこそ大切だったのである。人間と人間の付き合いの中でこれを破れば不義となり、軽蔑のそしりは免れないのである。ある意味刑事罰より酷いのかも知れない。
 
 それを今回消費増税法案の関係で複数出てしまった。マニフェスト違反の民主党とその民主党に造反した議員と造反しようとした議員からの脱落者の議員である。信義則には大小は無いと言われるが、後は夫々の感じ方の違いであろう。
 
 まず初めにマニフェスト違反の民主党を考えてみるに、これは信義違反と言うより、明らかなる契約違反であるからして、刑事罰に値するので論外である。
 
 次に党議に基づき決められた事を守らなかったから完全に信義違反である。それとみんなで反対して離党しようと決めて、離党しようとしたが止めた人、これも完全なる信義違反である。党議に造反した人達は離党を選択したから、これはそれで自ずから身を律したと解釈。
 
 問題は離党しようとして止めた人もしくは、戻った人である。これこそ信義違反、不義理の象徴であろう。この場合はどんな立派な理由があろうとも、もはや人間失格と言って今後誰にも相手にされないし、どんな時でも軽蔑の目で見られよう。
 
 以上並べてみたが、昔で言う武士道にもとるのは、造反して取りやめた3人のお方であろう。私は可愛そうな方々と思う。何故なら、この方々もはや政治家人生本日を持って終わったと言っていいからである。
 彼らは離党しても展望は開けないと思ったのであろうが、余りにも代償が大きいと思わねばなるまい。
 彼らが気付いていない事がある。未だ民主党は存在するものだと思っている事である。だからこそ残ったのであろう。しかし、民主党は政権を交代した時の民主党ではもう無いのである。この事は野田首相にも言えるが、今頃「民主党立て直す」等とは余りにもノー天気である。それとも解かっていての精一杯の抵抗なのか解からないが、今後の民主党は恐らく存在して無いと思うのが正解だろう。そんな民主党に残る等と、この方々頭は確かなのだろうか。同じ政党がもう1つある。そう、連立を組んでいる国民新党である。この党も、元党首の亀井さんを裏切り、民主党との連立を選択した不義理の議員達である。今度選挙があれば、先ほどの造反を取りやめた3人と一緒で、二度と国政には戻れない輩となるは必定である。それほど信義を破ればこうなると言う解かり易い見本だ。ただこの方々に共通して言える事は、いまもって民主党が破綻する事を信じてない事である。いかにも自己中で将来を見れない、程度の低い人間と思われる。未だ気付いていない事が驚きでもあるが、こういう人間に我々の税金が使われている事こそが残念でならない。